惑い人



「フェリクスはさぁ、これから何するの?」
「何って、陛下の意向に従って、後始末をやってる最中だけど。今まさに」
「いやいや、そうじゃなくて」

 ミランは顔の前で大げさに手を振ったあと、空中の四角い何かを切り出して、「それは、それ」と横に置いた。

「仕事以外の膨大なフリータイムをどうやって生きるのさって話。この件が終わったら次はどうするの? ず~っとこの星に住むつもり?」

 鼻と耳を真っ赤にしたミランがばさばさとコートの雪を払う。捲り上げたコートに寒風が吹き込んだのか、ぶるりと身震いをしたあと、くしゅん、と小さくくしゃみをした。


 ここは、永い冬に閉ざされた星だ。
 令梟から持ち込まれたサクリアが引き起こす異常気象。当初はそう思われていたが、大量の星の転移による軌道の変化、地軸変動の前触れ、もしくは星の寿命――それらが幾重にも絡み合っている可能性が高い。研究院の報告書は「処置には慎重な判断を要する」という文言で結ばれていた。
 そうとなれば「我々」の出番だとラボからの要請を受けて、この星で暮らし始めた。暦の上では三回目の冬を迎える。

「極寒の星。君の故郷に似ているかもね。頼めるかな? 長丁場になるかもしれないが」
「問題ないよ。任せて」

 神鳥に来て以来、色々な星を渡り歩いてきた。一人暮らしも、もうお手の物だ。

「存外、君が一番ふらふらしてるね」と、ふらふらさせている元凶が、目尻に皺を寄せる。
「まるで、惑星だ」

 惑い星。誉めてるのか、貶してるのか。真意を測りかねて黙っていると、彼は骨ばったひとさし指で、テーブルに大きく放物線を描いた。

「賞賛だよ。傍からは彷徨っているように見えるけど、自分の軌道……とどのつまり、何らかの信念を持って、進んでいるだろう、君は」

 滑らかに泳いだ指が始点に戻り、緩やかな楕円を結ぶ。それから、全てを見透かしたような濃紫の瞳が僕を掠めた。意味ありげな視線につられて後ろを振り返ると、彼が眺めているのは壁に飾られた僕の絵だった。その土地固有の鉱石や植物から作られた顔料を使ったくらいしか特徴がない、ごく普通の(と自分では思っている)風景画が七枚ほど。アンジュが気に入ってくれたので、拠点を移す度に報告書と共に送っていたものだ。
 訪れた星の順に並べられた小さなキャンバスは、たしかに惑星の旅路に見えなくもない。

「お気に召さない?」
「いや……母は……。彼女は、まっすぐに、自分の道を往く人だった。だから」

 だから、僕自身もそう在りたいと思っている。その言葉は、差し出されたコーヒーと共に飲み下してしまったけれど。目の前の男は、やっぱり全てを見透かしたような胡散臭い笑みを浮かべて、満足げに頷いた。


「銀河中フラフラしちゃって。ショーライのこと、ちゃんと考えてる?」
「ミランにだけは言われたくないセリフ」
「え~失礼しちゃう。ミラン君はちゃんと立派に大人気アイドルやってますぅ」

 唇を尖らせたミランが、雪の上で軽くステップを踏む。ターンと共に粉雪が舞い上がり、陽の光を反射して輝いた。
 降り注ぐ無数の煌めきはサクリアに似ている。光に彩られたミランの姿はあの頃と少しも変わらなかった。難なく振り上げた足の高さも、ターンのキレも、広げた腕のしなやかさも、全く衰えが見えない。サクリアの加護が残っているとはいえ、どれだけの鍛錬で全盛期の肉体を維持しているのか。小さいころから彼を見ていたから、それは容易に察せられる。

「ま、この前電撃引退しちゃったけど」
「……ここに来るために?」

 経歴不明・年齢不詳の天才アイドルは彗星のごとく突然現れる。デビュー直後から引退まで、人気・実力ともに絶頂のまま。引退後は二度と姿を現さない。時代が一巡して人の記憶からその姿が消えた頃、またどこかの星で表舞台に舞い降りる。

「違うよ~。あの星の人類は寿命が短いから、元々長居するつもりはなかったんだ。でも、あそこの音楽は好きだったから百年後くらいにまた行くかも!」

 まるで三日後の散歩ついでに顔を出す、くらいの口ぶりで、ミランはまた踊り始めた。

「同じ場所に戻る気なんて無いだろ」
「え~? 何を根拠に?」
「……だってミランだし」

 根拠なんてない。なんとなく、僕の知っているミランならそうってだけだ。風に舞い踊る花びらのように軽やかなステップで、振り返ることなく、祝福を撒き散らして去っていくのだろう。
 踊るミランを無視して踵を返すと、ばしゃばしゃと忙しない水音が追いかけてくる。隣に並んだブーツには、融雪剤と泥が混じった雪解け水で黒い染みが出来ていた。

「気候変動で困ってるかと思ってたのに、結構余裕そうじゃない? ここの人たち」

 極寒の地と意気込んでいたらしいミランは、除雪された街並みを見て拍子抜けしたようだ。

「だから難しい。長期的な影響を考えたら、僕らのサクリアを何とかしたほうがいい。けど、環境変化が緩やかだったせいか、大きな問題が起きていないから」

 元々ごく短い夏季がある程度の星だった。気候に左右されずに食糧を確保する技術は発展していたから、深刻な被害は出ていない。苛烈な自然環境の中で生きてきたこの星の人々は、基本的に善良で、穏やかな人間が多かった。彼らは雪を特別楽しむでも厭うでもなく、当たり前にそこにあるものと受け入れている。

「あ~悪いなりに安定してるところで、一気にサクリアを回収すると急激な変化が起きちゃうかも……って?」
「研究院はそう判断した。だから、時間をかけて少しずつ歪みを解いているんだ」
「このままの方が良かった~なんて、言われたりし、てっ」

 一際大きな水音が弾けた。ミランが試すように僕を覗き込む。

「かもね」

 長く続いた冬が終わる。雪が溶けたら春になる、なんて絵空事だ。雪が解けたら雪が隠していたものが出てくる。綺麗なものも、汚いものも。今までの星でもそうだった。夢のような奇跡なんて起きない。

「ふぅん。まぁ何年かかるかもわからないし、今から心配したって仕方ないか」
「そういうこと。でも、ミランが手伝ってくれるならちょっと早くなるかもね。緑のサクリアの影響もかなり強いみたいだから」

 へ~そうなんだ、とミランが適当に相槌を打った。どうせロレンツォやタイラーのレポートを何も読まずにノリと勢いで来たんだろう。

「僕はしばらくここにいるけど、ミランは適当なところで離脱していいからね。……こっちの席、座って」

 コミューンのドアを開いて、助手席を指し示す。後部座席に手持ちのカバンを放り投げてから、ミランが振り向いた。

「フェリクスはネージュに戻らなくていいの? せっかく神鳥(こっち)に持ってこられたのに」
「一度くらいは行こうとは思っているけど。今は、いいんだ」
「なんで?」
「今更、縋るような郷愁もないし――あの星はずっと、美しいから」

 座席に滑り込んだミランは「そっか」と答えたきり、珍しく口と目を閉じて、大人しくシートに体を預けた。
 
 自動運転のコミューンは街の中心部を通り過ぎて、郊外の一軒家の前で停止した。広大な森のなかにぽつんと佇む白い家が、僕の住み処だ。
 船を漕いでいたミランの肩を揺すり、降りるように促す。
 除雪システムの入っていない私有地の道は、深夜から朝まで降っていた雨で雪が緩やかに溶けて、古い雪の上に透明な層を作っている。

「雪の上を歩くときは……」

 コツを伝えようと後ろを振り向く。ミランは慣れた様子で、僕の足跡を上から踏み締めるように歩いていた。視線に気付いて、得意げに鼻を鳴らした。

「二個前にいたとこ、雪が結構降るとこだったから。でもこのブーツは失敗。靴下までべちゃべちゃ」

 玄関のタイルの上で足踏みをして、ぐじゅ、ぐぽ、と空気と水が混ざる音をリズミカルに奏でて見せる。

「靴、早く脱がないと凍傷になるよ」
「それは、困る」

 無用の心配。そんな言葉が一瞬頭をよぎったが、ミランは促されるままに家の中に入って靴を脱ぎ始める。

「綺麗だけど、物、無さすぎじゃない?」

 吹き抜けのエントランスにミランの声が響く。独りで暮らすには広すぎる家に、一人分の家具だけがぽつぽつと置かれているせいで、空間の余白が強調されて見えるのだろう。先に届いていたミランの荷物が異物のようにどどんと並んでいるのも、一役買っているかもしれない。

「一人暮らしなんだから、物増やしたってしょうがないだろ」
「え~ただでさえ人気がないとこに住んでるのに、家の中もスカスカって寂しくない?」
「別に。僕は一人で居るのが性に合ってるし、静かに暮らせればそれでいい」
「それって一人が好きなんじゃなくて、人間が嫌いってだけじゃない? まあフェリクスはそういうとこあったよね」

 ミランが失礼なことを言いながら、地べたに外套を脱ぎ捨てた。寸でのところで掴み上げ、代わりにタオルを投げつける。

「服を脱ぎ捨てる癖、いい加減直せよ」
「はは、ありがと。変わらないね、君は。安心するよ」

 小さな呟きと共に、今度は濡れたブーツと靴下が転がった。だから、と文句を言おうと開いた口を噤む。その素足に、いくつかの絆創膏が張られているのを見てしまったから。
 そうか。ミランは、もう――。
 先の言葉を思い浮かべようとして、ぞくりと背筋が凍った。妙に手が震えるのを冷え切った部屋のせいにして、暖炉に薪と種火を放り込む。八つ当たりのように投げつけた薪が、軽い音を立てて割れた。

「そうだ、アトリエあるんでしょ? あの、スノードームみたいなとこ?」

 当の本人は、物珍し気に暖炉の周りをうろついていたが、すぐに飽きたらしい。ひらめいたように辺りを見回して、そのままパタパタとスリッパを鳴らして廊下に消えた。手当たり次第にドアを開いては閉じる音が響く。

「ガラスの覗き窓の扉!」

 後ろから追いかけながら声をかけると、「それっぽいから最後にしようと思ってたのに」と負け惜しみが返ってくる。

「ユエなら一番にその扉を開ける」
「ドアノブがオレに握られたがってた、とか言ってね。あれ本当に意味がわからなくて怖かった……って、うわぁ、良いじゃん」

 アトリエの扉を開けて、ミランが感嘆のため息をついた。

「なんか僕の部屋っぽくない? 飛空都市の」
「そうかもね。元々は温室だから」

 半球状のガラス張りの天井にはヒーターが張り巡らされていて見た目よりは暖かい。天気の移り変わりで色の見え方が変わるとかインクが劣化するとか、そういうこだわりもないので、改装せずにそのまま使っている。前の家主が育てていた植物も残っているから、ミランにとっては懐かしい雰囲気なのかもしれない。
 ミランは壁に立てかけただけの絵を一枚一枚眺めてから、最後にイーゼルに載っている塗りかけの絵の前に立った。評論家のように腕を組み、精一杯難しそうな顔を作る。

「うん。相変わらずどういうインスピレーションで描いてるのか全然わかんない――けど、これ、青が綺麗で好きだな。海の底にも光が射すんだね」

 それは夜空に一筋見えた流星だと指摘すると、ミランは体をくねらせてもっと難しそうな顔をした。

「受け取る印象は見た人の自由だから。その青、ここで採れる宝石を使った絵の具なんだ」
「宝石? 勿体なくない? 普通の絵の具じゃダメ?」
「化学的に作られた絵の具も便利だけど、僕は鉱石や貝、植物から作る色が好きかな」

戸棚の引き出しからガラス瓶を取り出して、作業台の上に並べていく。

「動物も植物も、一億年経てば石油や宝石になるんだって」
「じゃあ、僕らも死んだら、綺麗な絵の具になれるかもしれないんだ。いきものとして死ねれば、だけど」

 僕たちの「終わり」がどんなものになるのか。それはまだ、誰にもわからない。神鳥の女王陛下が仰るには、同じような例はほぼ無いそうだ。サイラス達に定期的に生体データを送っているから、そのうち「貴方はそろそろ死にます」なんて教えてくれるかもしれないけれど。

「そうだね。動物の血を使った、真っ青な絵の具もあるし」
「え~血はちょっと嫌かも……あ、僕は絵の具より、星の砂になりたい。プラチナコーストで貰ったんだ」

 丁度こんな瓶に入ってた、とガラス瓶を持ち上げて軽く振ると、新緑色の粉末がさらさらと揺れる。

「それは隕石から見つかった鉱物を使ってて……若葉みたいな色だろ? ミランらしい色だなと思って、最近買ったんだ」
 流星緑(ミーティアグリーン)。名前からしてミランにぴったりだと思ったから。

「じゃあさ、この絵の具で僕を描いて! 芽吹きたての命の色で」

 自分の顔の横に持ち上げて、ミランがにんまりと笑う。絵の具と同じ、新緑色の瞳がボトルに映って弧を描いた。

「いつかね」
「いつかって、いつ?」

 ミランが珍しく食い下がる。僕が人間を描かないって知ってるくせに。

「そうだな……雪が溶けて、こんな風に明るい緑が沢山出てきたら、かな」
「へえ? じゃあ春が来るまで、この星で頑張っちゃお」

 ミランが足を高く上げて、スリッパを脱ぎ捨てた。自らを抱きしめるような姿勢でうずくまって、それから、長く細い息を吐いて、静止した。つられて僕まで息を止めてしまう。
 ぱっと顔を上げて天を仰いだ瞬間、天窓から光が降り注いだ。若草色の瞳が、雪の下から芽吹いた若葉のように瑞々しく潤っていた。肩に掛けたままだったタオルをふわりと浮かせて、それよりも軽やかにミランが大きく跳躍する。花の香りが広がって、寒々しいアトリエが春で満たされた。

(ミランが居れば、春なんてすぐに来るかもしれないな)

 春の化身のような男と、その踊りに中てられて楽観的な考えが頭をよぎった。だめだ。雰囲気に絆されてはいけない。

「ミラン、ストップ。とりあえず荷ほどきしようよ。夕飯までに終わらせたい」
「え~せっかくノってきたとこだったのに」
「だからだよ。放っておくといつまでも踊り続けるだろ。ほら、片付けて。自分のスペース以外に物置いたら容赦なく捨てるから」
  

 春の訪れも夏の終わりも感じないまま、季節が巡っていく。
 僕にとっては四回目の冬。今年は暖冬になるらしいですね、と薪を運んできた男が言う。

「ミランさんは暑い土地のご出身でしたっけ。この前のダンスもそこの?」
「うん、砂漠の星に伝わる伝統舞踊だよ。でも故郷を離れたのは子供のころだから、アレンジ入っちゃって原型留めてないかも」
「そうなんですか。いやぁ、あんな凄いダンスを見たのは初めてで、感動しちゃって……」

 最初は雪を見てるとインスピレーションが湧くとか、静謐な砂漠の夜を思い出す静けさだ、とか言っていたくせに、半年も経たずに雪ばっかりで退屈!とミランが音を上げた。気分転換になればと、郊外の人工温室に連れて行ったら「自分でもびっくりするほどテンションが上がっちゃって、思わず」踊りだしたおかげで、ミランはちょっとした有名人になってしまった。
 彼らの世間話を背中で聞きながら、王立研究院から示されたレポートを眺める。
 サクリアが干渉し合って発生する波長に、僅かに変化が見られた。だが、気候に影響を及ぼすほどではないらしい。つまり、この暖冬はただの偶然ということだ。

「さすがにちょっと、気が滅入るよね~」

 男を見送ったミランが、ディスプレイを覗き込んでため息を吐いた。両手にはマグカップを持っていて、どうやら中身を入れすぎたらしい。運び方が慎重だ。

「そりゃあ、数年やそこらで何とかなるとは思ってなかったけど」

 そっと置かれたマグカップの中身は、意外にもコーヒーだった。この前ラボから送られてきた荷物に入っていたものだろう。ロレンツォが焙煎した豆らしいが、酸味が少なくて僕の好みに合っている。ついでにミランの淹れ方も悪くない。

「ありがとう。もう少し、目に見える変化があるといいのにな」

 絡まって澱んだサクリアを解いて吸い取るだけでなく、相殺するようにぶつけてみたり、逆に押し込んでみたり。色々試しているけれど、手応えを感じる方法はまだ見つけられていない。

「あのね……膠着状態なところ申し訳ないんだけど」
「どこか、呼ばれた?」
「そんなに遠いとこじゃないんだけど。最近周りが煩くなってきたから、ほとぼりを冷ますのもいいかなって」

 ミランは、なぜかこの星ではアイドル活動をする気は無いらしく、あれ以来人前で踊るのは我慢している。こっちの仕事と両立出来る程度なら好きにすればいいのに、と僕は思うけど、本人が気乗りしないことをわざわざ薦めるのも違う気がするので黙っていた。

「フェリクスも一緒に行かない? 気晴らしになると思うよ」
「僕はいい。ユエが送ってきたレポートで、試したいことがいくつかあるし」
「じゃあ、多分半年くらいで帰ってくるから! ぜっっったい捨てないでよね、僕の荷物!」

 ミランが住み着いて丸一年が経っている。スカスカで寂しいと言われたこの家は、発言主のせいで物が溢れて賑やかだ。そういう家に一人で暮らす方がよほど寂しい。その感覚は、きっとミランにはわからない。

 
 結局、ミランが戻ってきたのは一年後だった。
 それからも時々どこかの星に呼ばれるようになった。「一緒に行こうよ」と毎回誘われるけれど、断った。僕自身、別の場所に派遣されることもあったし、長年付き合った甲斐があってか、ようやくこの星のサクリアが微かに変容しはじめた。ようやく掴めるようになったその感覚を鈍らせたくはない。

「え~でもさぁ……まぁいっか」

 今、何か言おうとしたのに諦めたな、と気付いたが、追及はしなかった。
 ミランはどうでもよくない事ほど「まぁいいや」としまいこむ。僕は何が「まぁいい」かはわからなくても、何かを飲み込んだことはわかる。だから「言いたいことがあるならはっきり言えよ」と言いたくなるけど、結局、僕も「まぁいいか」としまいこむ。お互いが「まぁいい」で済ませられずに本当に喧嘩になった時、どうやって収拾を付ければいいのかわからないからだ。
 多分、ミランもそれをわかっている。だから、僕らは千年経っても、予定調和の喧嘩しか出来ない。


 ミランがどこかから帰って来るたび、物が増えていく。各地の名産品、出演した映画や歌が収録されたメディア、「作ってもらった」という踊る人形のオルゴール。
 その人形がミランを模したものであることはすぐに判った。風を孕んで膨らむ衣装は、細部まで入念に装飾が施され、鮮やかに透き通る若葉色の瞳は宝石で表現されている。精緻なカッティングが光を巧みに反射して、波立つ水面のようにきらきらと揺らめいた。柔らかな輪郭で描かれた目鼻立ちはミランの中性的な面差しをよく捉えていて、あどけない少女にも、美しい青年にも思える不思議な雰囲気を纏っている。

「どうしたの、これ」

 ただの民芸品にしては出来が良すぎる。真っ白な陶器の頬やくちびるには程よく紅がさされていて、伸びやかなポージングとあいまって血の通った人間のようにすら思えた。
 そう訊ねると、ミランは「話すと長くなるから」と言ってゼンマイを巻き始めた。

「これはフェリクスにあげる。人恋しくなったら鳴らすといいよ。きっと気に入るから」

 僕が口を挟む間もなく、ミランはその場で踊り出した。曲が途切れて、人形が動かなくなっても、ミランは舞を止めない。

 ――彗星だ。

 僕はじっとミランを見ていた。雪に眠る静かな夜を切り裂く、星の旅人を。燦然と輝くその躰で、綺麗に降り積もらせた真っ白な雪を蹴散らして、隠していた本音をぐちゃぐちゃの土から掘り返して眩い光に晒してみせる。
 嫌だ。平静に振る舞っていた自分がかき乱される。もう、やめてくれ!と今にも叫んで逃げ出したい。それなのに、足も、手も、動かない。目を逸らせない。瞬きすらも許されず、僕はミランをただ見つめていた。
 思えば、ミランが初めてここに来た日。あの日以来、豊潤な春の甘い香りが、体に纏わりついて離れない。


 ミランがいない時は、そのオルゴールを隣に置いて絵を描くのが日課になった。
 ある日、ふと思い立ってオルゴールの後ろに絵を置いてやった。雪深い森、夕暮れの湖、流氷の海、朝焼けに燃える山。人形の造形が良いから、どの背景でもちゃんと「絵になる」けれど。
 聖地の花畑の絵を添えてやると、普段よりも足早に響くメロディーと共に、人形がくるくると廻りだした。ゼンマイを巻いてなんかいないのに。このまま風に乗ってどこかに飛んでいってしまいそうな気さえする、喜びに満ちた踊りを、僕は呆然と眺めていた。
 ようやく、旋律が止んだ。余韻を惜しむ様に、少し遅れて人形がゆっくりと回転を止めた。

「……静かだな」

 椅子の背に体を預けて、ぼんやりと寄りかかってアトリエを見廻した。絵の具、筆、描きかけのキャンバス、乱雑に積み重ねられたスケッチブック。ここに住み始めたころよりも、物は増えている。それなのに、空っぽだと思ってしまう。
 ふと、窓辺に春が見えた。

「咲いてる? この気候で、花を付けるはずないのに」

 淡い薄紅色の小さな花が誇らしげに咲いている。せっかく温室があるなら、とアンジュが贈ってくれた種だ。いつか、冬を解くことが出来たら、その証に咲くだろうと思っていた。香りに吸い寄せられるように近付いて、そっと花びらをなぞる。懐かしいサクリアの気配がした。

「あぁ……やっぱり、ミランには春が似合う」

 笑ったつもりだったが、自分の口から零れたのはため息だった。吐いた息で視界が白く濁る。寒さで肺がずきずき痛む。こんな凍てつく空気の中に、春がぽつんと佇んでいるなんて。
 あのたんぽぽの綿毛みたいな男が飛んでいくなら、その行き先は、こんな雪で塞がれたガラスの天井(スノードーム)よりも、底抜けに明るい蒼天であるべきだ。その方がずっと、美しいから。

  
 一人に戻って、二人になって、たまに二人ともいなくなった後、一人に戻った。そうしているうちに、十年が過ぎた。
 十年ごとに拠点を移すつもりだったが、研究院の人間以外とろくな人付き合いをしなかったのが功を奏して、不老を訝しがるような相手もいない。だから、まだしばらくここに住み続けるつもり――と私信を添える。「人付き合いは大事って言ったじゃん!」そんなお叱りが聞こえてきそうだ。

「引っ越し、めんどくさいもんね。荷物沢山あるし」
「誰のせいだよ」
「フェリクスだって、絵、いっぱい溜めこんでるじゃん。しかも似たようなのばっか、沢山」
「僕が何を描くかは自由だろ。っていうか、ミランが僕の絵に興味があったなんて知らなかったけど」

 突き放すような言い方になったのは、なんだか責められている気がしたからだ。
 八つ当たりを誤魔化すように着色済みの絵をいくつか持ってきて「アンジュに送るから、選んで」とミランに押し付けた。
 しばらくの間、床に並べた絵を熱心に(そして珍しく、静かに)見比べていたミランが、思いついたように立ちあがった。

「あのさ。僕を描いてよ」

 今突然思いつきました、みたいな仕草で言ったくせに、声色には焦りが滲んでいる。暖炉の炎を映した瞳は不安げに揺れて、目線がうまく合わない。
 ああ、やっぱり、と思った。感情を抑えてなるべく平坦な声色で「いいよ」と返事をすると、ミランは苦虫を噛み潰したような顔で僕を一瞥した後、入念にストレッチを始めた。
 足の間に埋まった頭の下から、「ここの暮らしも気に入ってたんだ」と言い訳のような呻きが零れた。

「ほんとだよ? ずっと冬で退屈、とか文句も言ったけど。本当なんだ。信じてよ」

 アトリエにスケッチブックを取りに行くために立ちあがった僕に、ミランが言った。子供がするような言い訳に、「わかってるよ」と短く答えて、暖気が逃げないように一度ドアを閉める。

 ――お母さん、僕は大丈夫だから。本当だよ。
 母の舞台当日に限って、僕はよく熱を出した。
 足手まといになりたくなくて、でも、舞台に集中している母の心の中に少しだけ、自分の居場所が欲しくて。ベッドの中から、わざとしおらしいことを言って見送る健気な息子に、母は笑ってるけど困ってる、みたいな顔をして手を振った。
 きっと、さっきの自分はあの時の母と同じ顔をしていた。

「本当に、僕は変わってないんだな。昔から」

 アトリエの棚をひっくり返して、一番古いスケッチブックを取り出した。埃を払って、ぱらぱらとページを捲る。懐かしい絵を見つけて、思わず口元が緩んだ。

「ミランはさ、大勢の人に囲まれて踊ってるのが良いよ」

 そう言いながらスケッチブックと鉛筆だけを持ってきた僕を、ミランが怪訝そうに見上げた。まずは下書きだと言うと、拍子抜けしたようにまたべたりと上半身を床に伏せた。

「人を楽しませるの、楽しいだろ。ミランの天職は守護聖だと思ってたけど、アイドルも向いてるよ。本質は似てるんだろうな」

 スケッチブックの表紙をめくる。最初のページは、この星での最初のスケッチ。鉛筆だけを使って描いた、寒々しい冬の空。

「そうやって暮らしてるうちに、一緒にいたいと思える相手が出来るかもしれないよ」

 二枚目。多分、どこかのレストランの待ち時間に描いた、ラフスケッチ。家族連れが楽しそうに食事をしている、ありふれた風景。生憎、僕は経験したことがないけれど。

「そしたらこの仕事を休んで、その人と故郷に――リコに戻ったっていいんだし」

 ずっと一緒、は難しいだろうけど。普通の人の人生は、僕らからしたらほんのわずかな時間だ。同じ姿形をしているのに時間の価値が違う。そんな異物に恐怖を抱かない人間なんていないだろう。
 結局、人恋しければ同類と群れて暮らすしかない。ユエとノアが神鳥の宮殿に身を寄せて、カナタがシュリやレイナと一緒にいたのもそういうことだ。

「……ねえ。フェリクスは、アンジュのこと好きだった?」

 床に伏せたままのミランの表情は判らない。
 答えようとして、一度口を閉じた。喉の奥のあたりがチリチリと痛む。誤魔化すようにスケッチブックに視線を落とす。僕の心を体現したのか、やたらと波打っているページがあった。絵の具の試し塗りが、あの日、雨上がりの飛空都市で見上げた虹みたいに綺麗だ。

「うん。好き、だったよ。あの時はわからなかったけど」

 遅すぎた、とは思っていない。けれど「もしも」を考えると胸のあたりがずきりとする程度には想っていた。人の営みから外れた僕が、数々の戯曲で謳われてきた「恋」という感情を知った。胸に広がる甘い痛みはその代償なんだろう。

「そう」

 僕の吐き出した長いため息と、抑揚のない相槌が重なった。

「ミランは?」
「教えない」

 傷だらけの足を隠すように、ミランがぎゅっと膝を抱えた。

「あっそ。じゃあ、これは独り言」

 更にページを捲る。三枚目は、吹き抜けの階段と暖炉。同じアングルになるように椅子を動かして座りなおした。物が多くて、同じ空間だとは思えない。なにより、今は暖炉の前の特等席にミランが居る。

「ミランはこの家を見て、綺麗だけど何もないって言っただろ。それは僕のことだって思ったんだ。僕は、たまたまサクリアが多く宿っただけで、特別な力は持ってないから」

 四枚目。アトリエに置いた植木鉢に、咲くはずのない花が咲いた。ミランは、そういう特別な力を持っている。枯れる前に摘み取って栞にした。その色を忘れないように、花びらにだけ水彩で色を乗せた。

「僕には何もない。守護聖じゃない僕に何ができる? だから神鳥に来て、何者でもなくなる自分に焦ってた。ネージュに帰らないのかって、皆に言われたけど、自分を……守護聖を信仰する人達に混ざって暮らすのは、違うと思ったんだ」

 挟まっていた栞を取って、花にそっと触れる。アンジュがくれた、淡い薄紅色の小さな花。

「ろくな力も無いのに、昔みたいに、また勘違いしたらかっこ悪いだろ」

『フェリクスって、一人で何でもできるって思い上がってるよね』
 今でも思い出せる。『ほんと失礼だったよね、私。ろくにフェリクスのこと知らなかったのにいきなり本当のこと言って』と、更に失礼な追い打ちもセットで。

「実をいうと、令梟のサクリアが上手く調和しなかったことは、僕にとっては都合がよかった。不謹慎だけど、『元守護聖』としての役割が出来たからね。率先して色んな星に行って、結構な失敗もしたけど……そのうち、「何者でもない」のも悪くないって思えるようになったんだ」

 スケッチブックの真ん中あたりは、ろくでもないページが続いている。あの花が咲いた後、心が乱されて、何も描きたくなかった。乱雑に消したり、ページを破ったり、塗りつぶしたり。何もない、真っ白のページも少しあった。

「真っ白なキャンバスには、何を描いてもいいし、描かなくたっていい。自由なんだ」

 荒れっぷりに少し恥ずかしくなって、一度スケッチブックを閉じた。まともなページを探して開くと、ミランが気に入ったと言っていた、彗星の絵の下書きが出てきた。水彩でざっくり色を塗ってある。海の底だと言われたのは、なんだか嬉しかった。宇宙に繋がる空は深海に、海底に射す光は気まぐれに天を渡る箒星(ほうきぼし)にもなれる。
 
 暖炉の炎が一際大きく爆ぜた。ミランの目が、続きを催促する様にじっと僕を見上げている。

「ごめん、長くなったな。要するに、僕は僕なりにここで楽しくやってるってこと。ミランからしたら、変化のない退屈な日常かもしれないけどね。だからミランも、遠慮しないでアイドルに戻って、いや、別に戻らなくてもいい。とにかく、ミランらしく生きたいように」
「……勝手なこと言わないでよ!」
「なんだよ、急に」

 ミランが僕の胸倉を掴んだ。机にぶつかって、スケッチブックと鉛筆が床に落ちる。何するんだよ、と手首を掴み返したところで、ようやく、長い睫毛の奥の大きな瞳が涙を湛えているのに気が付いた。

「別にっ僕だってねえ! ここで楽しくやってたの!」
 ――ああ。溢れる。
「ミランらしくとか、自由にだとか……僕のこと勝手に決めないで!」

 潤んだ瞳に映っていた自分がぐにゃりと歪んで、それからすぐに、形を失って流れ落ちた。

「フェリクスは、僕を彗星って言った。彗星って、旅人でしょ? 旅人は、帰る場所があるから旅に出られるんだ。僕はここがそうだと思ってたよ。僕だって、ここで自由だった。フェリクスの作る料理は結構好きだし、まあちょっと口煩くて結構神経質だし、掃除しろとか片付けろとかやかましいけど、僕はそういうのあまり気にしないし。それに、僕が踊っても歌っても『ミラン様』なんて言わずに放っておいてくれるから」

 一息に捲し立てた後、ミランは僕の手を振り払ってぼろぼろと零れる雫を袖口で荒っぽく拭った。それでも涙はとめどなく溢れて、しまいには肩を震わせて泣きじゃくり始めた。
 あの、肝心なことほど言わないミランが、感情をむき出しにしている。本気で怒って、子供のように泣いている。
 どうすればいい? 何を言えばいい?
 わからなかった。ミランは守護聖になる前から、とっくに、当たり前に「神様」で、神様「じゃない」ミランも、神様で「ありたくない」ミランも、僕は想像したことがなかったし――こんな喧嘩、初めてだったから。

「……僕らしい僕でいるのって、全然、簡単じゃなかった」

 絞り出すような声だった。
 そうか。ミランも悩んで、苦しんでいたんだ。ミランだって、普通の人間だったんだ。

 ――僕と、同じで。

 当たり前のことに今更気付くなんて。ああ、僕はいつも――遅すぎる。
 窓から身を乗り出して、積もったばかりの雪を掴んだ。両手で握り固めてからタオルにくるんで、赤く擦れて痛々しい目元に当ててやる。

「決めつけたつもりは無かったんだ。ごめん。でもね」

 床に落ちたスケッチブックを拾い上げて、一番後ろのページを開いて見せた。人形が踊るオルゴール。はじっこに殴り書きがある。『人形になってもうるさい』 

「ひどくない?」
「ゼンマイを巻いてないのに、好き勝手に踊り始めたんだよ。全然止まらないし」
「まさかぁ……いや、ありえるかも」

 はは、と気の抜けた笑い声と一緒にぽたりと水滴が落ちて、その文字は滲んで読めなくなった。

「その時、思ったんだ。ミランはいつも、面倒なしがらみとか、役割とか――あらゆる重力から解放されて、軽やかに飛ぶんだ。皆の視線を集めて、さらに輝きを増して……そんな」

 お土産だと渡されたコンサートの映像を観た。歌い、踊るミランの動きに合わせて、サインライトの光が大きくうねる。星の海を自由に泳ぐ魚みたいで、美しいと思った。

「そんな、彗星みたいなミランが僕は好きなんだよ。昔からずっとね」

 ミランの手をぎゅっと握って、祈るように目を閉じた。本当は、笑いたかった。でも、笑うと、僕まで泣いてしまいそうだったから。

「……だから、いっておいでよ。僕はここにいるから」
「でも、僕は、変わったよ。変わっちゃったよ。怪我がすぐ治らない。今だって目の周りがめちゃめちゃ腫れぼったくなってヒリヒリしてる。もう最悪。風邪も普通にひくし、徹夜したら三日くらい調子が悪いし。すごく……すごく、人間になっちゃった。きっとこれから、見た目だってどんどん変わってく」
「だからって、僕とミランの関係は変わらないよ。幼馴染みで、同期で、腐れ縁で――こんな、取っ組み合いの喧嘩が出来る、友達なんだ。今更何万光年離れても、千年会わなくたって、大丈夫。おじいちゃんになっても、すぐにミランだってわかるから」
「千年もここにいるつもり? せいぜいあと百年くらいでしょ」

 昨日送られてきた研究院の推測と概ね一致している。割と的確な見立てだと伝えると、ミランが得意げに笑って、床に落ちた鉛筆を僕に放り投げた。

「次来た時、居なかったら怒るからね」
「それはこっちのセリフ。来るのが遅かったら気の向くままにフラフラ旅をしてるかも」
「えぇ~。ま、いっか。生きてれば、宇宙の果てでも、いつか会えるし。おじいちゃんになったフェリクスをネージュに連れてってあげるのもアリかも」
「だったら、ついでにリコにも案内してもらおうかな」
「……いいね。宇宙旅行、しようよ」

 すらりと居住まいを正したミランが、タタン、と足で床を鳴らした。両の腕が、宇宙を大きく揺蕩った。星をかき抱いて、愛おしげに指先で撫でる。軽やかなジャンプで別れを告げて、次の星へ。無重力と錯覚するような音のない着地。
 今、僕は宇宙の真ん中でミランを見ている。呼吸も、瞬きも忘れて。感情が涙になって溢れる。鉛筆を持つ手が止まる。

「描かないの、フェリクス」
「目に焼き付けるから。大丈夫」
「ふぅん。じゃあ、泣いてちゃダメだからね」

 オルゴールの旋律が加わると、ミランの動きが殊更軽快になった。銀河を巡る壮大な旅が始まる。その体は幻想的な煌めきを纏って、残像は淡く輝く光の尾を描いた。
 もう、惑星の――僕のちっぽけな引力は、ミランを捉えることはできない。

「あの絵の具、使ってよね。春の、命の色」

 わかってるよ、と上手く言葉に出来たのかはわからなかった。

 * 
 
 ミランを冬に閉じ込めたくなかった。こんな、肺が凍るようなところじゃ駄目なんだ。暖かな春の陽気の中で朗らかに笑って、踊っていてほしかった。
 ……わかってる。僕の、エゴだ。

「それも、一種の愛だと私は思うよ」

 愛? これが? 勝手な理想を押し付けて、自分から手を放しておいて?

「睦み合うだけが愛ではないよ。まぁ、上手な愛し方とは言い難いが……君は、昔から不器用だった」

 データを整理する手を止めて、ロレンツォが片方だけ眉を吊り上げた。

「何? 私が愛を語るのは可笑しい?」

 どこか人を食ったような口調と裏腹に、その表情は殊更に優しい。

「違うよ。やっぱり、僕は母の子だったな、と思っただけ」

 *

「やっほーフェリクス。約束通り来たよ」

 家主の返事はなかった。生体認証システムは生きていて、門の前に立つミランの虹彩と声紋を瞬時に読み取り、音もなく扉が開いた。
 すっかり雪が解けた庭を悠々と歩き、家に入る。相変わらず物が少なくがらんとしたエントランスは、少し埃っぽい気がした。すん、と鼻を利かせても生活の匂いがしない。

「いないの、フェリクス?」

 ほんとに旅に出ちゃったのかな。でも、僕の部屋は散らかったままだし。ていうか帰ってくるの何年ぶりだっけ? 逃した季節を数えようとして、ミランはすぐに諦めた。

「まあ、一番それっぽいところは最後に行くんだよね、僕は」

 家中をふらふらと検分したあと、アトリエの扉に手をかけた。無意識の祈りのせいか、ミランにしては丁寧な、ゆっくりとした動作だった。
 自然光の差し込むアトリエはその明るさに反して、耳が痛くなるほど静かで、寒い。

「痛ッ」

 裸足の足裏に、何かが刺さったような感触があった。

「ガラス……いや、砂利かな? フェリクス~駄目だよ、掃除サボっちゃ。こんな……え?」

 その砂粒は、床一面に散らばっていた。不思議と円の軌道を描いているように見えるそれを、指を押し付けるように掬いあげる。空にかざすと、光を反射してきらきらした。
 鉱石を砕いたという、あの綺麗な絵の具に似ている気がした。それと――。
 踏み出した足の先に、また、何かが触れた。羽を模した繊細な銀細工。拾い上げて、手の中に集めた光と見比べる。
 それと――フェリクスのサクリアみたいだ。

 ミランは長い時間、それを眺めていた。
『一億年経てば石油や宝石になるんだって』
 丸いガラスの天井から降り注ぐ夕陽で、アトリエの床はすっかり赤く染まっていた。それなのに、足元に広がる砂は淡い紫の光を放ち続ける。
『僕らも死んだら、綺麗な絵の具になれるかもしれないんだ。あ、僕は絵の具より、星の砂になりたい』
 握りしめた手に砂ごと指が食い込んで、薄っすらと血が滲む。
 その手を額の前で組み、フェリクスのサクリアを探した。土に、水に、大気に。あるはずの気配を感知しようと、神経を研ぎ澄ませた。
『この絵の具で僕を描いてよ、芽吹きたての命の色で』

「……ほんとに、いないんだ、フェリクス」
 あの冴え冴えとしたフェリクスのサクリアの気配はどこにも感じられない。
 どこかから、聞きなれたオルゴールの音色が響く。亡き友が作ったというあの曲。集中を乱され、ミランは咄嗟に耳を塞ぐ。眩暈がする。質の悪い白昼夢でも見ているような気分だった。

「ここで待ってるって、言ったじゃん。一億年どころか、まだ百年だって」

 自分が待たせた時間を棚に上げて、吐き捨てた。それから、アトリエ中を漁って見つけた一番きれいな空き瓶と適当な紙を使って、光の粒をかき集めた。二つ折りにした真っ白な紙の上を、細砂がさらさらと滑り落ちていく。

「……絵の具にしちゃうのは、勿体ないなぁ」

 硬く封をしたガラス瓶に向かって話しかけるが、砂粒達はきらきらと輝いてみせるばかりで、何も応えなかった。





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