いつか見た景色



 交渉は終わった。寒さを凌げる部屋、報酬。
 これで暫くは二人どうにか生きていけそうだ。役に立つ自信はある。使える男だと判断してもらえればあの臆病な領主のことだ、長期契約も有り得る。そうしたら弟も久しぶりに学校に通えるかもしれない。
 早く知らせよう。ヴァージルは門の外で待つ弟を呼びに足早に外へ向かった。

「……何をしてる?」

 門の外には、子供が二人。
 一人は弟。そして傍らにはこの領主の館に来たときから、まるで壁に溶け込むように座っていた孤児。弟と同年代か、もう少し幼いかもしれない。その首には、弟が先ほどまで巻
いていたくすんだ赤いマフラーが巻かれている。そして冬の枯れた小枝のような細い両手の中には、待ってる間食べるようにと弟に渡したパン屋の紙袋があった。

「それじゃあね」

 弟はヴァージルの問いかけには答えずに、孤児に手を振ってからこちらへ歩いてくる。孤児は、声を上げることなく、痩せこけた頬の小さい顔をただ弟に向けていた。
 弟が自分のところにまで歩いてくると、ヴァージルは少し声を潜めつつ弟を叱った。

「そんなことしなくていい。おまえが飢える。優先順位を考えて行動しろっていつも言ってるだろう。自分を最優先にしろ」

 それにあの子はもう――と言いかけてそれはやめた。
 生きる気力を失った小さくか細い命。あのパンを食べたところで、数日も保たないのは目に見えている。弟にだってそれは分かるはずだ。
 可哀想だとは思う。
 けれどあの孤児にもう明日を生きる力はない。それなら、あのマフラーもパンも、全て弟のものであるべきだった。

「だからだよ。兄ちゃんはそういうとこ冷たい!」
「一昨日、一週間スープしか食べられなくて腹減ったってわめいてたのは誰だ?」
「兄ちゃんのスープ草ばっかだもん……。それより交渉はどうだった?」
「栄養のあるハーブだって言ってるだろ、まったく」

 そこまで言うと、ヴァージルは笑みを浮かべ、手の中にある鈍く光る鍵を見せた。

「交渉なら成功だ。傭兵詰所だが部屋もある」
「やった!」

 弟の嬉しそうな顔を見て、ヴァージルもようやく肩の力を抜く。部屋は大部屋だろうが、凍てつく風を防げるならなんでもいい。早くこの薄着になった弟を中に入れてやりたい。マフラーの代わりに、弟の肩を抱きかかえるように腕を回すと、館に向かい歩き出した。
 背後では、ギィィィ……と重い音を立てながら門番が門を閉める音が聞こえる。
 歩みを止めぬまま、ヴァージルは少しだけ後ろを振り返った。
 閉まりゆく扉の向こう側。瞬間――、あの痩せた子供は先ほどと同じ姿勢のまま座り込んでいるのが見えた。そして門は固く閉ざされる。
 門の中と外。
 生と死を分ける線だ。俺達はこの中に入れた。
 弟の肩に回した腕に力を込める。俺の最優先。それ以外に心を寄せられない自分を正当化していく。この戦乱の星に生きていく以上、必要なことなのだと。

(この星を、いつか出ることがあれば)

 なにか、変わることがあるのだろうか。


◇◇

 王立派遣軍・雪中行軍演習一日目。
 年中、氷と雪に覆われた星。
 降り立ったときは、経験したことのないあまりの寒さに全身鳥肌が立った。気温は昼でも氷点下のままだ。喉を切り裂くような冷気。軍が支給した防寒具はしっかりとした作りだったが、息をするだけで腹の底に冷気が貯まり、身体の芯から冷えていく。動いていなければガチガチと震えていたかもしれない。
 故郷の星では、雪を見ることがなかった。それもあり、雪景色への憧れも心中にはあったのだが。

「はぁ……はっ……」

 背負った荷物が肩に食い込んでくる。慣れない寒さ、重みと痛みを訴えてくる肩。雪に足を取られ片脚が雪に埋もれれば、もがいてももがいても雪の中にずぶずぶ沈んでいく。昨晩降ったらしい真っ白い新雪は、柔らかな深い層となり踏んでもあまり固まらず、白い悪魔のようだった。

「くっ」

 ピッケルを渾身の力で握りしめながら、どうにか抜け出す。急いで隊列に戻れば、少し前を歩いている上官がこちらを見ていた。
 演習参加者の中で、最年少の自分。だからといって音を上げるわけにはいかない。大きく肩で息をしながらも、ぐっと前を向き、力強く前へ歩き出した。
 予定していた露営地に着いた頃は、もう気力だけしか残っていなかった。体力も筋力も根こそぎ霧散した……明日から大丈夫だろうか……そんな気持ちも、テント内で湯気の立つスープを一口飲むとじわりと解れていく。

「……温かい……」

 軍の食事が特別美味しいと感じたことはなかったが、この冷え切った身体に染みわたる温かな食事は、味よりも何よりも心と身体を温めてくれた。
 くたくたに煮込まれた香菜は、少し苦みもあって初めて食べる味だった。何だろうかと眺めていれば、隣に座っていた隊員が寒い星ではよく食卓に出る、身体を温め栄養価も高いハーブだと教えてくれて納得した。なんでも今回上層部から特別に参加されている教官のお勧めで採用されたらしい。

「ほら、今日途中で何度かしごかれてただろ。あの薄い金髪で細身の……」
「ああ!」

 そう言われ、すぐに誰のことか分かった。温和そうで、柔らかく丁寧な口調の教官だ。一見すると優し気な雰囲気なのだが、指導はいっそ冷酷なぐらいにスパルタで、自分より逞しい隊員達からも静かな悲鳴が聞こえていた。遅れがちだった自分はせめてこれだけでも、と唇を噛みしめて堪えたけれど。
 そんなちょっとした雑談を交わしつつ食事を済ませると、片付けの為テントの外へと向かう。
 外に出た瞬間、思わず感嘆のため息が漏れた。
 日中は厳しさばかりが際立つ一面の雪景色に思えていた世界は、今は唄うような星々の天幕と、銀白色の雪で包まれた山々が力強くも荘厳な冬景色を作り上げていた。

「…………凄い……」

 思わず足を止めて、深く息を吸った。冷たい空気が肺に入り痛んだが、この美しさからは目を逸らせない。天から降り注いでいるかのような星々の近さはまるで触れれば届きそうだった。
 手を伸ばしかけたその時、ふと物音が聞こえた気がして辺りを見渡した。
 その気配は、上官達が休んでいるテントの方からだった。柔らかそうな蜂蜜色の髪を揺らして一人の教官が出てくる。先ほど、テント内で会話に出ていた教官その人だ。

「ヴァージル教官、お疲れ様です!」

 敬礼をして挨拶すると、教官がこちらに歩いてきた。

「君ですか。食事はしっかり摂りましたか」
「はい!」
「今日は遠征中なので食材は限られますが、もっと普段から食事内容にも注視して、筋力と持久力をつけたほうが良さそうですね。一日見ていましたが、集団での遅れは命に関わります。そうだ、今から一緒に走りますか」
「はし……?」

 走る? この雪原で? 一日歩き通し訓練をした後で……?
 教官の真面目な声のトーンは、冗談を言っているようには聞こえない。指導していだだける機会を逃したくはないのだが。

「あの、自分は今から」
「片付けがあるので無理でした、か」

 すみません困らせましたね、と教官が軽く笑う。残念さと安堵が入り混じった気持ちになった。

「やる気があるならまた時間を設けましょうか。演習中は荷物を背負っていたので辛かったと思いますが、身軽なら問題ないでしょう。それにここの景観は素晴らしいですしね、走り甲斐もありますよ」

 教官は白銀の山々をゆるりと見渡した。ふふ、と笑うと「俺には懐かしい景色です」と続ける。

「教官はこの星のご出身なのですか?」
「いいえ。ここではない……もっと遠い場所にあった星です。気候が似ていますね。厳しい環境でしたが、冬景色は特別綺麗でしたよ」
「自分は、このような場所は初めてです。ですが、この大地の中に立っていると心が静まるのを感じます。それにこの満天の星を見上げていると、亡くなった父や兄の代わりをようやく務められるのだと感じて、志願した甲斐があったと…………すみません喋り過ぎました」

 教官に向けてこのような私語を普段なら話さない。だけれど、キンと深く厳かな程の冷気に包まれた雪の大地に立ち、向かい合って言葉を交わしていると、自然に素の自分が零れ落ちていく。心の底に風が吹いて、閉じ込めている気持ちを露わにされているようだと、そんな風に思った。

「父君と兄君を。お二人は軍に?」
「はい。二人とも、五年前に起きた事故のシャトルに乗っていました」

 そう続けると、教官は一瞬僅かに顔を顰め、自分から視線を外しそのままゆっくり天を仰いだ。

「同時に…………そうでしたか。……五年前なら、あの星の爆発事故ですね」

 恒星の寿命が尽きる際に起きる、超新星爆発。
 王立研究院が予測も出来ない程の異例のスピードで寿命を終えたある星の大爆発は、今でも少しも薄れることなく自分の記憶に刻まれている。周辺に人が住んでいる星はなかったが、王立派遣軍のスペースシャトルが爆発に巻き込まれ……搭乗していた父と兄が、シャトルごと宇宙の塵となった。
 骨も肉片も何も残らなかった。
 詳細について、箝口令が敷かれている――その事実を入隊後に知ったが、それ以上は末端の自分が調べた程度では分からなかった。あの異常な超新星爆発は、王立研究院から公表されている情報が少ないこともあり、『宇宙の歪みが原因だ』『いや兵器実験だったらしい』そんな信憑性のない噂が今も流れ続けている。
 何が理由であれ、父と兄が亡くなったのは事実だ。軍人である以上万が一のことは避けられない。そう分かってはいても、父と兄が志半ばで散ったことはただただ無念だった。

「……君は、亡くなったご家族の代わりに軍へ?」
「はい! 二人は自分の誇りです。母についているべきか迷いもしましたが……自分の家系は代々女王陛下をお守りするためにこの身を捧げています」

 天を見上げる。あの向こう側にまだお会いしたことはないが、女王陛下のいらっしゃる聖地がある。星々を追うように手を伸ばしかけ、掌をぐっと握りしめた。

「父や兄の死はショックでした。正直なところ、シャトルに乗るときは恐怖も感じます。軍に志願したときは、母にも強く反対されました。それでも、まだ自分がどれだけ未熟でも――女王陛下や宇宙をお守りする一端であれる勇気を持ち続けていきたいです。母だけを、自分達だけを見ていてはきっといけない。父もそう言うと思うのです」
「勇気を」
「はい!」

 瞳が、教官の瞳が揺れていた。見間違いだろうか、そう思う間もなく静かに瞼を閉じ、何か思案するような表情を見せた。

「五秒、後ろを向いてください」

 そうして飛んで来たいきなりの指示に、条件反射で教官に背を向けて直立不動の姿勢を取る。
 ばさりという衣擦れの音と、カチリと僅かな金属の音が聞こえた。まるで銃の引き金を引いたような響きにびくりとしたが、冷静に数えた五秒が終わると、恐る恐る振り返る。
 目の前で、教官がその長い睫毛を伏せ、左手の中の小さな布を見つめていた。
 先ほどまでと何か変だ、そうだ外套。自分達の軍の支給品とは違うデザインで目に留まっていた、教官の外套。
 清涼感のある爽やかなアクアグリーンに、金糸の縁取り。そして内側は夜の仄暗く深い海の色。五秒前まで羽織っていたはずのその外套が消え、教官の手にあるのは。
 ……小さくなった、その外套だった。

「手を出して」

 前へならえの体勢で両手を前に出すと、くるりと手首を回転させられる。上を向いた掌に、まるで人形の服のように小さくなった外套が軽く二つ折りにされて乗せられた。

「このまま渡しても良かったんですが、君が着ているわけにもいかないですしね。胸ポケットに入れておけば、いざというとき守ってくれますよ。ああでも、ハンカチ代わりにはしないで下さい。誤作動したら危ないので」

 言われるがままに上着の胸ポケットにしまう。
 頭の中は、何がどうして、でいっぱいだった。

「俺の知る限り宇宙一の、凄腕エンジニア製の防御システムが作動します。効果は保証しますよ」
「あの、どうして教官は自分にこれを? 防御システムとはなんですか……? その、自分が未熟だからでしょうか」
「身に付けている本人に危険が及ぶことを感知すると自動制御で守ってくれるシステムです。……まあ、訓練し甲斐はあるなと思いましたが。最後まで耐え切る今日の気概があれば、もっと強くなれますよ」

 そこで言葉を切ると、目を細めて懐かしむような顔をみせる。

「これは、危険な任務が多いことを心配した元上司が仲間に頼んで作ってくれたものです」

 そうして、教官が天を見上げる。穏やかな声だったが、その瞳は遠く輝く星だけを見つめていた。

「俺も君と同じです。以前は弟を。その後は女王陛下と宇宙を護る、それが全てでした」

 過去形の言葉が響く。
 同じ。だけれどきっと教官の話は自分とは何か大きく違うのではないか。息をするのもためらうような重い沈黙の後、教官はまた話を続ける。

「いつも、優先順位を決めているんです。俺の育った環境は中々過酷でしてね。他人に構っていると自分達は生きられなかった。常に、最優先を決めてそれだけを護る。ずっとそう生きていました。環境が変わってもずっと」

 ここまで言うと、顔を伏せ、ふうう、と長い息を吐く。そうして顔を上げた教官は、ずっとさっぱりとした顔で笑ってくれた。

「俺の良くないところは、変わる必要がないと思いこんでいたことですね。この防御システムは、俺より貴方の方がこれを必要とする家族がいるでしょう。母君を大切に」

 静かに語る教官の後ろで、まるで涙が落ちるように星が線を描いて流れていった。
 流れ星だ。誰かの願いを叶える一筋の星。

「それじゃあ、俺は走ってくるので。明日は四時起床ですよ、早く休むように」

 そう言うが早いか、雪原を風のように走り去っていく。みるみる小さくなるその姿に、従軍するずっと前、幼い頃に祖父から聞いた話を思い出した。
 なんでも、別の宇宙で風の守護聖をされていた御仁が、王立派遣軍に教官として在籍されることになったのだと。まだ若いが身体能力に優れ大変素晴らしい方だった、そう話していた。

 風の守護聖だった御仁……? 
 もしかして、いやでもそんなはずはない。自分が祖父から聞いたのは――祖父が入隊したときの、思い出話なのだ。その風の守護聖殿から、一番最初に教えを受けたんだと。そう、誇らし気に笑っていた祖父の寝物語。教官は確かにお若く見えるが、三十代といったところのはずだ。
 上着の上から、胸ポケットを押さえる。強い風が吹き、巻き上げられた雪が白煙のように宙に舞い全てを覆い尽くしていくのを、何も言葉がでないままにただいつまでも見つめていた。

 教官が退役したらしいと聞いたのは、それからしばらく後のことだった。

********************

   やがて吹く風



 ちりりん。と、風がドアベルを鳴らす。


「ああ、いらっしゃい。ご無沙汰だね」

 扉を開けると、快活な女性の声が出迎えてくれた。ご無沙汰、という言葉にヴァージルは内心で苦笑した。顔を出していなかったのはほんの数か月だ。永遠にも等しい時間を生きるこちらからすれば、つい先日どころか、ついさっき来たところのような感覚だった。

 熱砂の惑星の辺境にあるちいさなバーだ。
 昔は紛争の絶えない地域だったが、資源が枯渇すれば人は争いの種を失くした。やがて多くの人間は散り散りに別の惑星へと移住し、もの好きな少数が居座ってコミュニティを結成した。

 不思議と土壌がいいんだよ、と、以前彼女が言っていた。気候は農作に適さないので全天候型ドームが主流だが、土と水がいいのだという。そのため各種ドームではあらゆる農作が行われ、だが辺境のため新鮮なままの輸出には至らず、発酵、加工が行われ――結果として、今この熱砂の惑星は酒の一大産地になっていた。
 多くは輸出に回ったが、それでも地元の人間も酒が好きだ。このバーは店主選りすぐりの酒を出すので、ヴァージルはよく顔を出していた。
 明るい女性店主だ。いくらか白の混じり始めた髪をいつも高く結んでいて、笑うと目元に深い皺が刻まれる。

「何か、面白い酒はありますか?」

 スツールに腰を掛けながら問う。

「あるある。良かったら飲んでみてよ」

 そう言って彼女が出してきたのは、透明がかった黒い液体だった。訝しく思いながら口をつけ、次の瞬間にはグラスを置いていた。

「……なんですかこれ」
「珈琲の酒」
「いや、違いますよね」

 珈琲と酒を割る飲み方はヴァージルも知っている。生クリームを入れたりと甘みもあるのでヴァージル自身はあまり好まないが、一般的ではあった。珈琲と酒がうまく混じり合い、芯から温まるし気も緩む。だが、これは違う。この口に含んだ瞬間に分かるアルコールと珈琲の香りは、どちらも主張が強すぎる。珈琲の酸味が強すぎて香ばしさは感じないし、アルコールはアルコールであることだけを誇りにしているような不格好な強さ。それが口の中で延々と喧嘩している。知っている珈琲の酒、の味ではない。

「違わないさ。ちょっと作り方が違うだけで」

 すました顔で微笑む店主にヴァージルは息を吐いた。つまり、きっと。

「珈琲豆そのものを……?」
「ご名答。あっはっは、大変だったらしいよォ。珈琲は発酵させたって珈琲にしかならないー、とか、菌が違うんだーとかバイオがなんだーとか」

 そんな苦労をして出来上がったのがこれ、というのだろうが。

「……美味い、ですか、これ?」
「アタシには無理だったね」

 客に出すな。そんなものを。

 うっかり口を突き掛けた言葉を手で押さえ込んで、ヴァージルは微苦笑を零した。本当に、この惑星の人間はなんでもかんでも酒にしたがる。

「まぁ、アタシには無理だったけどさ。宇宙は広いからねェ。どっかにはいるんじゃないの。こーいうのが好きなやつも」
「フフ。まあ、そうですね」

 宇宙は広い。なにせ今のこの宇宙は、別の宇宙を飲み込んだ姿だ。
 久しく会っていない姿が脳裏を過(よぎ)る。飲み込まれた宇宙の女王。元気でいるだろうか。

「……じゃあ、貰おうかな。これ。売ってます?」

 このバーはバーではあるが、この地域らしく同時に販売もしている。飲める酒はだいたい購入出来るので、ヴァージルは気に入った酒を買っていくことが時折あった。
 が、店主の丸い目が見開かれる。

「え。買うのかい? これを? 正気?」
「そう言いたくなるものを売ってるのはどうなんですか」
「それはそう」

 あっさりと頷いて、店主は奥の棚を漁った。小柄だがどっしりとしたフォルムの瓶をカウンターに置く。支払いを済ませながら、ヴァージルは笑った。

「嫌がらせの手土産にはちょうど良いかなと」
「売り物を嫌がらせで使わないでくれる?」
「嫌がらせになるようなものを売ってるからでしょう」

 ヴァージルの軽口に、店主がからからと笑った。そのまま、ふと声音がやわらかくなる。

「手土産の品ならいくらでも用意しておくからさ」

 ――ああ、目が似ているんだな、と、思った。

「あんたももうちょっと、頻繁においでよ。まったくどいつもこいつも、不義理なんだからさ」

 すいと、視線がカウンターの奥へ流れる。古い写真立てが伏せてある。その姿を眺めながら、ヴァージルはグラスを軽く指で弾いた。

「そうですね、気が向けば」

 チンと高く、音が響く。



「これは……またずいぶん変わった酒だね」

 グラスに入った濃褐色の液体をくゆらせながら、ロレンツォは軽く眉を上げた。古めかしいこの建物は、彼の姿とそのグラスを品良く見せている。中身はアレだが。

「これは君がお気に入りだと言っていた惑星の?」
「ええ」

 あの惑星の話はしたことがある。幾度か土産にも持ってきているし、かつての仲間と飲む酒に選ぶこともあった。

「へぇ。面白いね。話に聞く限りずいぶんと意欲的な場所だ。いつか私も行ってみようかな」

 ひとくち、ふたくちと口に含みながらもついぞ美味いのひと言はなかったが、ロレンツォは好奇心だけでその酒を気に入ったようだった。少し舌打ちしたくなる。嫌がらせとしては失敗だったかもしれない。

「まあ、いいんじゃないですか。あの人に会う覚悟があるなら」

 ヴァージルの告げた言葉に、ロレンツォの紫の目がすいと細まった。

「あの人?」
「直接は知らないと思いますよ。例の惑星でバーをやっている人物です。ですが、あなたはその身内に心当たりがあるはずだ」
「長い話かな」

 ロレンツォはそのまま、店の奥に目をやった。『彼女』は今日はいない。その事を確認するように。

「アンジュがいなくて良かったですね」
「手厳しい。思うところがありそうだ」
「そうですね」

 ふうと息を吐く。あまり、楽しい話題ではない――まぁもともと、この男と楽しい会話、をした記憶もそうないが。

「いつかの王立派遣軍のスペースシャトル事故」

 ロレンツォの笑みが深くなる。

「その真相を知っておこうかな、と」
「いまさら? どうして」

 たった二言に込められた嘲りと、好奇心と、それから真実を感じ取り嘆息を飲み込む。

「そうですね。いまさらです」
「それは君が先日退役したことと関係している?」
「素直に聞けばいいでしょう」
「こうして会話をすることで紐解いていくのも、面白いものだよ。――失礼。あまり、面白い話ではないか」

 肩をすくめて、ロレンツォは席を立った。ゆったりとした足取りで店の奥のカウンターで、手作業を始める。珈琲を淹れはじめたらしい。おおかた口直しといったところか。

「俺はあまりそういう遠回しなのは好きではないです。なのでまぁ、あなたの言うとおりですよ。バーの店主は、俺が軍を退役する直前で出逢ったとある人物の身内です。ふたりの血縁者が、あのシャトル事故に巻き込まれている。ここが繋がったのが、最近です」
「情が湧いた? 君にしては珍しい」
「ロレンツォ」
「ごめんね」

 ヴァージルは眉を寄せて軽くロレンツォを睨む。彼の言うことはそれでももっともではあった。あまり他人に肩入れしないように生きてきている。しかし、軍で出逢った彼のことは気になってしまった。いつか指南した兵の血縁者。それだけではないと、自分の気持ちは分析出来ていた。おそらく、似ていたのだ。かつて一番大切にしていたものに。本来は荒事なんておおよそ向いていないであろうまなざしが。
 快活に笑うあの店主の息子だと知って、あまり似ていない親子だなと苦笑したのが、つい最近だ。

 ロレンツォは淹れ終わった珈琲をこちらに渡した。品のある香ばしい匂いが漂っていた。

「真相も何も。超新星爆発の原理は君も知っているはずだ」

 恒星の寿命が尽きるときに起きる超新星爆発。しばらく前、急速に進んだその現象に、王立派遣軍が巻き込まれた。公式にはそれだけだ。だが。

「あの場所に王立派遣軍を向かわせたのは聖地の王立研究院です」
「そうだね」
「王立研究院が超新星爆発『ごとき』、予測出来ないはずがない」

 強めに言い切って、それから、珈琲に軽く息を吹きかけた。湯気がふわりと、緑の前髪を掠めて消えていく。
 ロレンツォは困ったように笑って、それからゆっくりとカップに口をつけた。

「どうして私に? サイラスやタイラーでもいいはずだ。むしろそっちの方が筋が通っているだろう」
「あなたが知らないはずがないでしょう」
「それでわざわざここへ?」
「あなたのほうが責めやすい。それに、嫌がらせになりそうな手土産をちょうど見つけたので」
「フフ。それも君なりの情だと受け取るよ」

 ゆっくりと、ヴァージルは珈琲を口に含む。酸味はあるがやわらかく溶け込むような味だった。

「ただ、買いかぶりすぎ、かな。王立研究院でも予測が間に合わなかった。それだけだよ」
「では、超新星爆発の原因は? 通常ではないと言うことでしょう」
「君の推測通りだと思うよ」

 ロレンツォの笑みに、ヴァージルはゆっくりと息を吐いた。

「俺たちのサクリア、ですね」
「ああ。通常の予測範囲外の動きだった。あの星域での超新星爆発の可能性は予測されていたが、あまりに早かったんだ」

 内密に処理されたのだろう。公式に出なかったのは、そんな理由らしい。

「ではもうひとつ。予測が出来なかったのではなく、間に合わなかったとあなたは言った。最低限の予測はされていたのだとすれば、あの区域に王立派遣軍を向かわせた理由は?」
「まさか君は、軍が安心安全な場所へ行くとでも思っている?」

 揶揄うような言葉にヴァージルは微笑みを返す。

「まさか。あなたのような優しい環境では生きてきていないので」

 ふっと鼻で笑って、ロレンツォは肩をすくめた。

「よく勘違いされるが――」

 ふいっとロレンツォの指が中空を撫でた。見慣れた――かつては住んでいた――宇宙がそこに広がる。

「サクリアは守護聖だけが持つものではない。生物だけが持ち得るものでもない。宇宙にあるすべての存在が、あまねく持ち得るものだ。あくまで我々はその特異点として選ばれたに過ぎない。言い換えようか。守護聖に選ばれずとも、我々に近しいサクリアの量を持つものは存在し得る」

 宇宙に波のような光を流し、ロレンツォはふっとその映像を握りつぶすように消した。

「そういった者は、ある程度、暴走したサクリアの曝露に耐性がある」

 ロレンツォのはっきりしない物言いに、それでも意図を理解してヴァージルはカップを置いた。面白くない。

 たったひとり。大切な家族をあの熱砂の辺境に置き去りにして、意気揚々と軍に志願したらしいあの少年の顔が思い浮かぶ。

 あの軍は確かに違和感はあった。言葉にしようのない肌のざわめきがあった。それが、サクリアのものだったとは気がつかなかったが。

「その素質を持つ者を集めた軍?」
「必要だろう。まぁ、それでも無為に犠牲を生みたいわけではない。あれはあくまで事故だよ。志願兵であることも言い添えておけば良い?」

 平然とした顔でそう告げるかつての地の守護聖に深い笑みを送る。

「彼女はその事を知っているんですか」
「我々の女王は、聡い人だよ」

 答えとしては充分だった。
 帰りますと告げて、ヴァージルはカップを置いた。揺れる褐色の液体が少し、泥のように見えた。


 店を出て、空を見上げる。
 薄い青を溶かした空にカナタを思い出し、このまま寄っても良いかもしれないなと考えた。ちょうど、その瞬間だ。

「ヴァージル! 来てたんですか」

 やわらかい声に視線を向けると、優しい薄紅色の髪が見えた。ああ、今は会いたくなかったのかもしれない。そんなことを少し思い、笑った。

「ごきげんよう。アンジュ」
「ごきげんよう。ヴァージル」

 いつも通りの挨拶に心の奥に火が灯る。そのぬくもりを感じながら、彼女を見つめる。かつては女王然とした服装だったが、今はずいぶんとカジュアルだ。それでも彼女を包む空気は変わらない。

「ヴァージル。なにか、ありましたか?」

 彼女の水色の瞳が揺れる。聡い人だよ。その声を思い出し、苦笑した。

「なにか、ですか? どうして」
「勘です」
「あはは。ないですよ、特に」

 笑ってから、鼻からゆっくり息を吐いた。ポーカーフェイスは得意なはずなのに、どうも彼女の前では上手くいかない。昔から、ずっと。

「俺は、あなたに何も出来なかったな」

 ふいに唇から漏れた言葉を慌てて掬い上げようとした。口を手で覆ったところで、間に合いはしなかったが。
 耳に入ってしまったのだろう。アンジュの顔色がさっと変わる。ああ、そんな顔をさせたかったわけではないのに。もう一度笑って――笑えただろうか――背を向けた。

「すみません、アンジュ。また、来ますね」
「……っ、ヴァージル!」

 手を引かれた。あたたかな春風に絡みつかれるように。
 困っているような、笑っているような、あるいはだだをこねる子どものような、喪失を知っている大人のような。あらゆる感情を溶かした顔で、彼女はヴァージルを見上げていた。

「私は……あなたに貰いましたよ」

 ゆっくりと、言葉が風に乗る。

「何も出来なかったなんて、言わないでください」

 ――何を言っているのだろうと、思った。出来なかったではないか。彼女の愛した宇宙ひとつ、守れやしなかった。後始末に奔走されている今は、彼女の望んでいた未来ではないだろう。

「アンジュ。俺は何も、出来ませんでしたよ」
「貰いました。あなたに」

 悪戯っぽく、彼女は口端をあげた。

「私の宇宙を終わらせる勇気は、あなたに貰いましたよ。ヴァージル。私の、風の守護聖」

 ――女王陛下や宇宙をお守りする一端であれる勇気を。

 冷たい風と雪が、内耳をくすぐる。ああもう――と、胸中で独りごちる。そんな勇気は必要のないものだと、言えたら良かったのに。
 言葉を探るうちに、ふいに手のひらに冷たい感触を覚え、ヴァージルは視線を落とした。アンジュと繋がっていた手のひらに、何か硬いものがある。

「アンジュ。これは?」
「鍵です。ずーっと昔、私が住んでいた家の鍵」

 言葉を見つけられず、二度、三度唇を開いては閉じる。ヴァージルの眼前で、アンジュは少し楽しそうに笑った。こちらの虚を衝くことが出来たのが、嬉しかったのかもしれない。

「なんでも良かったんですけど。たまたま、持っていたのでちょうどいいかなって」
「……アンジュ」
「聖地に渡った頃だったかなぁ。サイラスに返して貰って、そこから御守り代わりに持っていたんですけど」
「そんな大切なもの貰えません」
「あげません」

 ヴァージルの手のひらにしっかりと鍵を収めて、丁寧にこちらの指を折りたたみ握りこませながら、アンジュは言った。

「あげません。預けるだけです。だから」

 あの頃から変わらない、茶目っ気のある瞳が見上げてくる。

「いつか。いつでも、いいから。返しに来てくださいね、ヴァージル」

 軍を抜けた。聖地の懐から出て、これからは自由の身だ。行く場所も、帰る場所も、本来はない。だから、だろう。アンジュの意図するところを感じて、ヴァージルはそっと手を引いた。鍵を握りしめて、微笑む。
 風の還る場所など、ないというのに。
 愚かで、かわいくて、賢くて。

「……酷い人だな」

 ヴァージルの言葉に、彼女は満足そうに笑った。


  
 途方もない年月が流れたと思う。数多の出会いを、無数の別れを繰り返した。男にも、女にも会った。人間とも、守護聖とも、不思議な存在とも、日々を過ごした。たくさんの子供を見守り、数人の老人を見送った。それでも、どこかひとところに留まることが出来なかった。
 自分はそういうふうに出来ているのだと受け容れられたのは、どれほどの月日が過ぎた頃だったか。それももう覚えてもいない。


 雨の日の夕刻、亜麻色の髪の男が来た。
 ここ最近は数年に一度顔を見せる、常連とも言えない顔なじみの客だった。最初に出逢ったのは、祖母の代だったか。その祖母ですら、子どもの頃からの顔見知りだと言っていたのだから、相当だ。その客の驚くほどの美しい顔立ちは、何年経っても老けることはなかった。こちとら、膝もきしんで立ち仕事も厳しくなっているというのに。
 ただの人間ではない。そんなことは、どうでも良かった。客は、客だ。
 グラスを磨きながら、久しぶりに顔を出したその男に酒を出す。
 疲れたような、すっきりしたような表情をして、彼は献杯だ、と言った。


「弔い酒か。そんな大切な酒を飲む場所として選んで貰えて嬉しいよ」
「なんとなく。風の吹きだまりのような場所で、好きですよ。俺はここが」
「そっか。ありがとさん」

 知らない誰かを弔って、グラスが微かに音をたてる。

「そんなこと言ってくれた矢先に申し訳ないんだけどさ、店、閉めようかと思ってて」
「ああ。そうでしょうね。出ていましたよね、避難指示」

 この星域は近く失われる。危険星域に指定されて、もう残っている物好きも少ない。

「惜しいですけれどね」
「まあ、一時期バカみたいに溢れていた酒屋も農家も減ってたしなぁ。潮時だな」

 こちらの言葉に、その男はくすくすと笑い声をたてた。
 愛しむような表情に、気が緩んだのかもしれない。言うつもりのなかった言葉が、口をついていた。

「本当はさ」

 男が顔を上げる。

「先祖代々の店だ。遠い昔神様が舞った地、なんて噂もあって、土壌もいい。俺ァここが好きだから、このまま店と心中してもいいかと思ってたんだけどよ」

 カウンターの端にある写真立てを指で示す。

「娘夫婦がさ、主星で店やってて。酒も出したいからこっちこい、って言われてなぁ」
「のろけですか」
「おう。いい娘に育っただろ」

 にかりと笑ってみせると、男は答えるようにグラスを軽く揺らした。

「この歳で再出発の勇気はなかなか湧かなかったんだけどな。まぁ、死ぬよりいいだろ。どこに行こうがさ」

 その軽口に何を思ったのかは分からない。
 人間じゃない不思議なその客は、ゆっくりと瞬きをし、珍しく「うん」と言った。




 ちりりん。と、風がドアベルを鳴らす。
 しばらくしてもドアが開かず、不思議に思って外に出た。

 赤茶けた道路に、小さな鍵が落ちている。誰かの落とし物だろうかと拾い上げた。

 もう一度、風が吹いた。
 ちりりん。

 あたたかな、春の午後だった。





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