ジェーン・ドゥに最後の祈りを
主星のとある街の片隅。ともすれば見過ごしてしまうような薄暗く入り組んだ路地の、曲がりくねった道の先の、更にその奥の奥。人目から隠れるような場所に、その店はひっそりと存在していた。
ただでさえ分かりにくい立地の上に、看板も、中を覗けるショウウインドウも無い。重厚で古めかしい扉が、外界からこの店を封印するかのようにそびえている。
いつからあった?
往来で捕まえた住人達にそう訊ねると、皆口を揃えて「わからない」と答える。昔からあった気もするし、つい最近、いつの間にか出来ていた気もする、と。
ずっと昔、星が沢山流れた夜に、出来たんだよ。星を集める店なんだって! そう嘯く子供もいた。
何を売っている?
いや、売っているのではなくて、買い集めているらしいよ。店主は大変な資産家で、蒐集家だって噂だ。古今東西、全宇宙の逸品珍品を集めているとか。
そうなの? 物々交換って話だよ。
あら、私は「夢を買ってもらった」って聞いたけど。誰から? そうね……誰、だったかしら?
屋号も、営業時間も不明。それどころか、店主や店員の姿すら、とんと見た者がいなかったので、「ジョンとジェーン・ドゥの店」と誰かが無責任な名前を付けた。
得体の知れない彼らの店に、来訪者は絶えない。
・・・
カランカラン。人を拒絶するような店構えに似つかわしくない、可愛らしい梟のドアチャイムが来客を知らせた。小さな子供を連れた女性が、不安そうに顔を覗かせる。
「やあ、いらっしゃい。お嬢さん方」
耳の深くで鳴り響くような声に驚き、女性が思わず後退る。声の主を探して店内を見廻すと、目の前に突然、大柄な男が現れた。
エキゾチックで彫りの深い顔立ちに、なめらかに波立つ髪。夕暮れの空を閉じ込めたかのような複雑で美しい紫の瞳が、無数のランプの光を受けて妖しく揺らめいている。薄暗い店内に佇むさまは、まるで夜を司る精霊と見紛うほどだ。
てっきり老人の道楽の店だと思っていたけれど、こんな精悍な男性が店主だったとは。
女性は子供の手を引くのも忘れて立ち尽くしていた。
「そんなところにいないで、こちらへどうぞ。飲み物を用意しよう。小さなレディ、コーヒーは飲める?」
うん、と頷いた子供の声で女性は我に返り、ふたりは導かれるがままにカウンターの椅子に腰掛けた。
店主は、キャビネットからサイフォンを取り出した。かなり年季の入ったものなのか、木で出来たスタンドの一部はすり減り、ガラスの部品は縁が僅かに欠けて刻印も薄れている。大切に手入れをし、長く使い続けてきたのだろう。店主は丁寧に、しかし流れるような手つきで、部品を組み立てていく。
手早く挽いた豆をロートに入れ、フラスコに取り付けるとごぼごぼとコーヒーが沸き上がる。それを店主がくるくると攪拌すると、店いっぱいに芳醇な香りが広がった。マジックショウさながらのサーブに、娘はうっとりしたようなため息をついた。
「大人の匂いって感じだね」
精一杯の背伸びをした感想に気を良くした店主は、内緒話をするように「見ててごらん」と囁いた。
ふ、と鋭い吐息でアルコールランプ火を吹き消す。みるみるとコーヒーがロートからフラスコに落下して、娘が歓声を上げた。
「どうして? どうして!? おじさん、魔法が使えるの?」
「おじ……まぁいいけど。不思議だろう? あとで調べてみると良い。どうぞ、召し上がれ」
たっぷりのミルクとシュガーを入れたカフェオレをとびきりのウィンクと共に渡されて、柔らかな頬が林檎のように紅潮した。
誤魔化す様にマグカップで顔を隠した娘を面白そうに観察した後、店主は母親にもカップを差し出した。
「じゃあ、御用件を伺おうかな」
来客の緊張と警戒心がほぐれたのを見計らって、店主が切り出した。そうでした、と母親が手を打って、娘を促す。
小さな手が差し出したのは、オルゴールだった。蓋を開くと民族衣装を纏った人形がぴょこんと起き上がって、音楽にあわせてくるくると踊り出す。
「夢で言ってたの。ここで踊ったらも~っと楽しいのにな~って」
「へぇ……いつから?」
「ここにお引っ越ししてきてから毎日だよ。前は、別の星に住んでた時は、こんなことなかったんだけど」
「子供の言うことですから、半信半疑だったのですが。まさか、本当にお店があると思わなくて」
ちょっと失礼、と店主がオルゴールを受け取った。何か検分するのかと思いきや、品物を一撫でしただけで得心したように頷いて言う。
「ありがとう、『彼』をずっと探していたんだ」
「え? おじさんのオルゴールだったの? そっかぁ。また会えて、よかったね」
少女が明るく声を掛けると、ゼンマイも回していないのに人形がくるくると廻り出す。
「相変わらず、落ち着きのない……さて、オルゴールのお代に、何か欲しいものを選んでくれる? 勿論、相応の金銭でもいい」
喜色を浮かべて席を立った少女が選んだのは、三枚組のポストカードだった。美しい花畑とどこまでも澄み渡る湖、雨あがりの虹が照らす生き生きとした森、白銀の雪が舞い散るどこかの星の海。
店主は木彫りのウサギをおまけに付けた。カードスタンドらしいよ、と言って、作者が適当に入れたであろう背中の切れ込みにポストカードを差し込んだ。
かなり個性的な画風の絵を、楽しそうに踊る人形に見せてあげた後、二人は嬉しそうに店を出て行った。
「お疲れ様」
店主は誰ともなく声を掛け、店の奥に向かった。いくつもの暗号を入力してキャビネットの扉を開き、飾り棚の真ん中にオルゴールを置いてやる。オルゴールの音色はしばらく止むことがなかった。
浮かれたようなワルツを聴きながら、店主は羽ペンを取り出し、さらさらと文字を綴った。
――彼は、最後まで楽しく踊っていたみたいだよ。
・・・・
ギギ、と見た目通りの重苦しい音と共に分厚い扉が開いた。ふらふらと店に入ってきたのは酷くやつれた青年だった。店の奥から現れた店主を見るやいなや、助けてください! と店主に縋りつき、捲し立てるように身の上話を始めた。
「つまり、君は毎晩続く悪夢を何とかしてほしいと」
折角のコーヒーは客に飲まれないまま、すっかり冷めきってしまった。そのことにいささか不満を覚えつつ、店主が男の長話を乱暴に要約した。めんどくさそうにパタパタと仰いでいる扇子からは、極上の香を焚きしめた様な仄かな香りが漂う。
「そんな便利屋稼業をしているつもりは全くないんだが……噂好きのマダムたちにも困ったものだね」
すらりと長い脚を持て余すように組み替えながら、少しも困っていなさそうに店主が独り言ちる。
「ジョン・ドゥなら悪夢に至るまでの諸々も含めてまるっと全て解決してくれるって街の人が言ってたんです。お願い、見捨てないで! こんなに眠いのに、眠るのが怖いんです」
情けない懇願を無視して、店主は店内をうろつき始める。つられて男も店をぐるりと見廻した。
がさごそと店主が棚をあさっている一角に、いくつもの紙の束が雑多に積み上がっているのが見えた。あれは……本だろうか。物は多いながらも整理はされているこの店で、明らかに異彩を放っている。
「あぁ、それはね、どう並べるといいのか迷ってしまって、そのままにしてあるんだ。作者順か、タイトル順か、年代別か……」
鷹揚な言い訳と共に店主が席に着いた。
手にしていたのは色とりどりのキャンドルで、カウンターに並べられたそれらは、まるでシャンデリアの光を反射したカクテルみたいに美しい。さしずめ、この店主は高級ホテルのバーテンダーといったところか。
「アロマキャンドルですか? 綺麗だけど、気休めだなぁ」
「ぐっすり眠れるよ。もう二度と目が覚めないんじゃないかってくらいにね。ついでにこの悪霊退散ルームスプレーも付けよう」
「はぁ……」
男は半信半疑で、謎のスプレーをシュっと空中に吹く。名前に反して、意外とフローラルで爽やかな香りだった。たしかに、これなら悪魔ではなく美女と花畑で戯れる夢が見られるかもしれない。
香りを楽しみながら、大樹の形をそのまま生かしたカウンターに身を預けた。妙に安心する。
止まり木で羽を休める鳥の気持ちって、こんな感じかも。そう言って男はカウンターを撫でまわした。
「さて、お代は……そうだな、その素敵な指輪を貰おうか」
モノクルを掛けた店主が、男の首元を覗き込んでそう告げた。突然間近に迫った美しい顔に気圧されて、彼は頷くより他なかった。アスコットタイからするりと銀色のリングを引き抜いて、店主は満足そうに笑った。
綺麗に磨き直した指輪をベルベットの敷布で包み込み、キャビネットの引き出しにそっと仕舞い込む。まるで眠った赤子をベッドに寝かせるかのように、丁重に。扉を閉めて、厳重に鍵を掛けた。
強化ガラスの頑丈な扉を濡れタオルと乾タオルを駆使して拭き上げながら、店主は虚空に話しかけた。
「随分とサクリアが残っていたね。辛い旅だっただろう。ゆっくりするといい。彼は……まあ、死にはしないだろうから」
――三日三晩、泥の様に寝てしまって火葬されかけた、と再び彼が駆け込んでくるのは、また別の話。なんてね。
・・・・・
「便利でおしゃれな小物入れだと思ったんですけど……すっっごい重いんです、これ。開かないし」
カートを引き摺った若い女性が、うんざりしたように訴えた。どこぞの惑星の古物商から通販で取り寄せた品らしい。
謎の重量物と引き換えに、持たなくていい日傘を受け取って、彼女は足取りも軽やかに去って行った。
デバイスを小物入れに繋ぎ、解錠に必要な暗号を入力しようとして、店主はふと手を止めた。
「……その前に、軽くする機械を取り寄せるべきか」
彼の事だ。腐るような物は入っていないだろう。勝手にそう決め付けて、小物入れをカウンターの端に放置した。
無駄に腕が疲れた。今日はもう、ペンすら持ちたくはない。
・・・・・・
その日の来訪者は老紳士だった。
傍らには紳士用としては少しばかり華奢なステッキ。とある財団のオークションで競り落としたものだが、どうしてだか自分には分不相応な気がするそうだ。
年代物だが、細身の柄には傷一つ無い。才媛のしなやかな指で丁寧に、大切に扱われていたのだろう。
店の奥から店主が持ってきたのは、白銀の鳥が翼を広げた見事な杖頭だった。鳥の尾羽のように連なった宝珠がしゃらりと涼やかに揺れている。サイズを確認するでもなく、店主はそれを杖に取り付けた。
ぴったりと杖頭が嵌まったそれは、まるで王笏のような威厳を放った。
「これは……本当に、どこぞの王族のレガリアかもしれませんなぁ」
品の良い調度品に囲まれて杖を携える店主の姿は、それこそ王を描いた荘厳な絵画と言われても違和感がない。
良いものを見た、と上機嫌で店を出る老紳士の腕には、ステッキの代わりに見事な織物が掛かっていた。
「ところで、ジェーン・ドゥはどちらに?」
「いるよ、ここに」
去り際に投げかけられた疑問に、店主は笑顔で天を指し示してみせた。
――意外と重たくてびっくりしたよ。そういえば、彼女は身体を鍛えていたね。瓶ビール一ケースを素知らぬ顔で運んで来たのには驚いた。
・・・・・・・
「お久しぶりです。お変わりなくお過ごしでしょうか」
店主が水槽の手入れをしていると、見知った顔が音もなく店に入ってきた。
「そちらのお魚さん達もロボットフィッシュも謎の食虫植物もお元気そうですね」
「彼の執務室でサクリアを浴び続けていた影響だろう。こちらの魚と交配させてみたいのだけど」
「オオ、それは禁則事項です」
胡散臭い笑顔でにこやかに言い放った彼に、店主がわざとらしく肩を竦めて見せる。
「高強度サクリアの長期間暴露による長寿命化立証のための実験……とか言って、陛下に許可を取っておいてくれ」
「本当にお変わりありませんね。ま、善処致します。それで、本題ですが」
真顔に戻った男は白い手袋をはめて、懐から何かを恭しく差し出した。
この宇宙のシンボルが彫刻された、大ぶりな金色のブローチ。かつての輝きは少しも色褪せておらず、かの守護聖の誇らしげな姿がありありと目に浮かぶ。
二人はしばしの間、思い出話に興じた。
シルクのハンカチに包んだブローチを銀の指輪の隣に飾ってやって、店主は店の外に出た。
夜の匂いを吸い込むと、肺がちくちくと痛んだ。胸騒ぎがする。
――青暗い星空に、一際大きな星が堕ちた。
・・・・・・・・
律儀なノックの音に続いて、梟のドアチャイムが遠慮がちに鳴った。
「ああ……君か」
思考の海から意識を引き上げて、店主が立ち上がった。小脇に箱を抱えた眼鏡の男が目礼をする。男が纏っている深い黒は、彼らの故郷で死者を悼む色だということを店主は知っていた。
「これを」
渡された箱を開かないまま、自慢のコーヒーで男をもてなす。
彼は、これを一区切りとして主星に腰を落ち着けるそうだ。宇宙中のビールを飲み歩いてしまったと話すので一番好きな銘柄を訊ねると、「なんだかんだ、あいつのとこの地ビールが一番だったかな」と懐かしそうに笑った。
こんなに目元に皺を寄せてくしゃりと笑う男では無かった気がする。それを指摘すると、男は白髪が交ざり始めた後頭部をガシガシと掻いて言った。
「まあ、あれから千年は経ちましたからね」
男が辞したのち、店主はまたコーヒーを淹れた。とっておきの豆を使ったその一杯を、一口ずつゆっくりと味わいながら、箱を開く。まるで宝物を披露する子供のように、ひとつひとつ、カウンターに中身を並べていった。
暇つぶしのジグソーパズルやデート先で買った謎の球技のルールブック。こんなものを律儀に取っておいたなんて、と口元が緩む。
その次に、手紙の束を取り出した。一通一通、丁寧に開封された跡がある。備忘録のつもりで、届かなくても構わないと思いながら送り続けていた手紙だが、そのどれもに返信の言葉が綴られている。ちょっとした交換日記のようだ。なんだか照れくさいような、勿体ないような気持ちになってきて、店主は途中で読むのをやめた。
最後に箱から出てきたのは、深緑の宝石が一粒だけついた、シンプルだが上品なネックレスだった。
店主は深いため息を漏らした後、ネックレスにそっと口づけをした。かつて何百回と繰り返した行為だ。
ロレンツォ、と愛おしい人の声が、確かに聞こえた。見上げると、幾百、幾千の花々よりも美しく可憐な笑顔がそこにあった。
――おかえり、私の宇宙。
店の奥のキャビネットを開く。一番高いところの棚板を丁寧に拭き取ってから、隠し扉から取り出したティアラを飾る。
その隣にネックレスを添えて、また、幾重にも鍵を掛けた。
店の扉を開く。夜明け前のひんやりとした空気が入り込んだ。
見上げた空には青白い朝陽が射していた。来客を見送ったのは昼間だったはずなのに、いつのまにか日が暮れて、夜が更けて。もうじき新しい朝がやってきてしまう。愛する人が存在しない明日が。
彼女のサクリアが尽きたということは、自分もそう長くはないのだろう。構わない。死は怖くない。私の人生は、全てが新鮮な驚きで満ちていたのだから。
彼女のおかげで、人を愛する喜び、喪失の恐怖を知った。彼女と共に、宇宙を育て、その終焉までも見届けることが出来た。
そして、最期には「死」という未知を識ることが出来る。
――君は、最後まで、底知れない宇宙の神秘だ。愛している。これからも、ずっと。
出す宛てもない手紙に、一滴だけ涙が零れた。
果てしない旅を終えたような充実感と疲労感が沸き上がる。店主はひとり、静かに打ち震えた。
・・・・・・・・・
ドアチャイムを外して、店内のランプを一つ一つ吹き消していく。
手探りで辿り着いたキャビネットを愛おしそうに撫でた。
心地良い静寂と闇に包まれて、逸品たちは一足先に眠りについたのだろう。サクリアの気配は消えてしまった。
「願わくば、死が、進化でありますように。そしてまた、君と」
小さな祈りが暗闇に溶ける。男の姿はもう、どこにもなかった。
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