惑い人

「フェリクスはさぁ、これから何するの?」
「何って、陛下の意向に従って、サクリアの後始末をやってる最中だけど。今まさに」
「いやいや、そうじゃなくてさ」

 ミランは顔の前で大げさに手を振って、それはそれ、と空中の四角い何かを横に置いた。

「仕事以外の、大部分のフリータイムをどうやって生きるのさって話。この件が終わったら次はどうするの? ずっとここに住むわけでもないんでしょ?」

 鼻と耳を真っ赤にしたミランがばさばさとコートの雪を払う。捲り上げたコートに寒風が吹き込んだのか。ぶるりと身震いをしたあと、くしゅん、と小さくくしゃみをした。


 ここは、永い冬に閉ざされた星だ。
 サクリアに起因する異常気象と思われたが、転移の影響、地軸変動の前触れ、星の寿命、あるいはそれら全てが合わさった可能性も否定できず、研究院は「処置には慎重な判断を要する」と結論付けた。
 そうとなれば我々の出番だ、と「ラボ」からの要請を受けて、この星に来て二年が経った。 
 ここに来る前も大体同じような流れで、色々な星を数年ずつ渡り歩いている。
 意外にも、守護聖(元、だけど)の中で僕が一番ふらふらしているそうで、ふらふらさせている元凶でもある依頼主曰く、僕は惑星らしい。

「惑う星? それ、誉めてるのか貶してるのか、どっち」
「褒めてるさ。傍から見ると彷徨っているように見えるけど、自分の軌道……とどのつまり何らかの信念に沿って動いているんだろう、君は」

 ラボの壁には、僕が報告書と一緒に送った風景画が飾られている。その星固有の鉱石で作られた絵の具で描いた簡単な代物だった。アンジュが気に入ってくれたので、折に触れて送るようにしている。
 訪れた星の順番に並べられたそれは、たしかに惑星の旅路に見えなくもない。

「意外といえば、僕は、貴方がここに張り付いているほうが意外だけど」

 カウンターの向こうの店主は、一瞬ばつが悪そうに視線を逸らして「うちの女王様は存外お転婆でね」と言い訳をした。

「へぇ。あぁ、ロレンツォがルヴァ様のところから帰ってこないってアンジュが怒ってたな。何か関係あったりする?」
「フェリクス。君は何をご所望かな? 可能な限り応えるよ」 
「高速艇の永続的な貸与。僕個人の権限では、さすがに難しいだろ?」
「陛下に申請しておこう。理由は・・・・・・そのうち、気が向いたら教えてくれ」


 そうやって自由な移動手段を手に入れた僕は、それまで以上に遠くの、つまり交通手段が確立されていない星を担当するようになった。この星もめちゃくちゃ遠くて来るのが大変だった、と到着するなりミランに文句を言われた。

「宇宙規模でフラフラしちゃってさあ。ショーライのこと、ちゃんと考えてる?」
「ミランにだけは言われたくないんだけど」
「え~失礼しちゃう。ミラン君はちゃんと立派に大人気アイドルやってますぅ。この前電撃引退したけど」

 唇を尖らせたミランは、そのままその場で軽くステップを踏む。ターンと共に舞い上がった粉雪が陽の光を反射して輝いて、サクリアが降ってくるような錯覚に陥る。
 上げた足の高さも、ターンのキレも、広げた腕のしなやかさも、少しも衰えが見えない。
 今のミランの生業は経歴不明・年齢不詳の天才アイドルだ。彗星のように現れ、人気絶頂のまま引退し、神格化される。時代が一巡して人の記憶から消えたころ、またどこかの星で表舞台に立つというサイクルを繰り返していた。

 サクリアの加護が残っているとはいえ、どれだけの鍛錬で全盛期の肉体を維持しているのか。小さいころから彼を見ていたから、それは容易に察することができた。

「それにしても、気候変動で困ってるかと思いきや結構余裕そうじゃない? ここの人たち」

 極寒の地を期待していたであろうミランは、完全に除雪された街並みを見て拍子抜けしたように肩を落とした。窓の外を流れる景色は、平和そのものだ。人々は、雪を特別楽しむ厭うでもなく、当然そこにあるものとして扱ってる。

「だから難しいんだ。もちろん、長期的な影響を考えたら、サクリアを何とかしたほうがいい。けど、環境変化がゆるやかだったから大きな被害が出ていない」

 元々ごく短い春と申し訳程度の夏に作物を育てて暮らしていた。バイオテクノロジーの発展で、気候に左右されずに食料を確保できるようになったため、目立った混乱や災害は起きていない。

「下手にサクリアを回収して、急激な変化を起こすほうが危ないんだ」
「そう。だから、時間をかけて少しずつ、歪みを解いて繕っていくしかない。それが、僕のここでの仕事。あと何年かかるかわからないけど、ミランが手伝ってくれるならちょっと早くなるかも」
「なるほどね。僕らじゃなきゃ耐えられないやつだ」
「だから、僕はしばらくここに住むつもり。ミランは適当なところで離脱していいから」
「ふーん? 君はすぐにでもネージュに帰りたいんだと思ってたよ。高速艇もそのためじゃないの?」
「……ネージュは、もう行ったからいいんだ」
「それは、移動前の調査でしょ?」

 神鳥との統合は決して容易なものではなかった。転移の莫大なエネルギーと、神鳥のサクリアの流入に耐えうる星の強さと寿命が必要で、対象とする星を慎重に選定する必要があった。
 守護聖と研究員は宇宙中の星々を調査し、救う星と遺す星を選定していった。遺す星の人々は別の星に移住させ、生態系の保全のためにありとあらゆる動植物の遺伝子情報を集めて回った。
 あの星は美しい。僕の記憶よりもずっと。でも、それ以上に、極寒の星でたくましく生きる民の姿に心を打たれた。
 そして恥じた。自分の代で令梟の宇宙を終わらせて良いだなんて、とんだ思い上がりをしていた自分に。

「今も、あの星は変わらず美しい。だから、それでいいんだ」

 隣に座るミランは「そっか」と答えたきり、珍しく口と目を閉じ、大人しくシートに体を預けていた。

 自動運転のコミューンは街の中心部を通り過ぎて、郊外の森にある一軒家の前で停止した。長旅の疲れでうつらうつらとしていたミランの肩を揺すって降りるように促す。
 森の中の私道は除雪されていない上に、昨日は少し暖かくて、雪の表面が溶けて滑りやすくなっていた。

「あ、ミラン。雪の上を歩くときは」

 後ろを振り向くと、ミランは慣れた様子で、僕の足跡を上から踏み締めるように歩いていた。視線に気付いたミランは、得意げに鼻を鳴らす。

「二個前の星は、雪が結構降るとこだったからね。でも、このブーツは失敗。靴下べちゃべちゃ」

 玄関のタイルの上でミランが足踏みをして、ぐじゅ、ぐぽ、と空気と水が混ざる音をリズミカルに奏でて見せる。

「ほら、入って。早く靴を脱がないと凍傷になるよ」
「えぇ~それは困る」

 無用の心配という言葉が頭をよぎったが、ミランは素直にタオルを受け取った。そそくさと家の中に入り、エントランスを見回して言った。

「やっぱ寂しくない? 今の生活もだけど、ずっと独りって」

 独りで暮らすには広すぎる家だ。必要最低限の家具だけがぽつぽつと置かれているせいで、空間の余白が協調されて見えるのだろう。
 事前に届いていたミランの荷物が異物のようにどどんと並んでいるのも、余計に空虚さが増した印象を与えるのかもしれない。

「僕にはそれが性に合ってるんだ」
「一人が好きってこと? それとも、人間が嫌い? まあフェリクスはそういうとこあったよね」

 失礼なことを言いながら、ミランは外套を僕に投げ渡す。

「僕は人間が好きだよ。守護聖だったころも、今も。強くて弱くて、愚かで誠実で・・・・・・全部抱えてぐちゃぐちゃに悩んで迷って、健気で愛おしいなあって思う」
「嫌いというよりも、自分を……僕そのものではなく概念として、だけど、守護聖を信仰する人達に混ざって暮らすのは、なんだかとても分不相応な気がしたんだ。彼らは日々、守護聖に感謝を捧げる。でも、僕はただサクリアが多かっただけで、僕自身が何か特別な力を持っていたわけじゃない」
 
ミランと違って、という言葉は寸でのところで飲み込んだ。

「なんだか、変な勘違いしそうになるだろ。だから、僕は一人のほうがいいんだ」
 
 で、の形にミランは口を開いたが、口は挟ませなかった。どうせ、「でも人間は独りでいたらおかしくなるよ」とか「だから一緒に住んであげようか。僕のマネージャーやらない?」とか、そんなことを言い出すにきまってる。

「ミランは。今みたいに、囲まれて踊ってるのが良いよ。そうやって暮らしていたら、いつか、本当に一緒にいたいと思える相手ができるかもしれない」
「・・・・・・恋なんて、しないよ。もう」

 ミランは小さな呟きごとブーツと靴下を脱ぎ捨てる。スリッパを履く直前、ちらりと見えた素足は、いくつかの指の付け根に絆創膏が張られていた。それは、彼が神ではなくなったことの証拠だった。

「ねー、こっちがアトリエ?」

 パタパタとスリッパを鳴らして、ミランが廊下を進む。家主の返事も待たずにドアを開いて、今更思い出したように「おじゃましまーす」と挨拶を投げかける。
 壁に立てかけてある絵を一枚一枚のぞき込んで、最後にイーゼルに乗っている塗りかけの絵の前で、ミランは腕を組んだ。

「相変わらず個性的な絵だけど・・・・・・これとか、きれいな青だよね。なんかキラキラして、宝石みたい」
「ああ。それは宝石を砕いた絵の具なんだ。正確には、鉱石だけど」
「ええ~もったいない」
「そう? 顔料ってそんなものだよ。ほら、こっちはミランの瞳の色に似てる。これは隕石から見つかった鉱物を使ってる。」
「ほんとだ。じゃあ、この絵の具で僕を描いてよ」

 新緑色の絵の具を自分の顔の横に持ち上げて、ミランが笑う。たしかに、ミーティアグリーン(流星緑)の名前はミランにぴったりだ。

「・・・・・・いつかね」

 僕は人間を描かないし、ミランもそれは知っているだろうに。
 自信満々に差し出された小指に自分のそれを絡めて、僕は生まれて初めて、守る気のない約束をした。





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