さよなら探偵助手

 チリリン。小さなドアベルが来客を知らせる。約束の時間にはだいぶ早い。朝イチで掃除を終わらせておいてよかった。
 はーい、と返事をしながら急いでリボンタイを結んで、バックヤードの鏡の前に立つ。軽く髪を撫でつける。シャツ、ベスト、タイ、問題なし。ヒゲ……も、大丈夫。
 最後に手を洗って、腕時計を付ればオッケー。
 
「いらっしゃいま――って、なんだ、ロレンツォさんか」

 勝手にカウンターに座っていたのは見慣れた顔だった。何に影響されたのか、着流しに羽織、手元にはチューリップハットなんて出で立ちだ。大方の予想はつくが、意外と似合っているのが嫌だった。

「やぁカナタ。すっかりバーテンダーが板についたじゃないか」
「つっても無資格のモグリだけどね……」

 主星のとある地方都市。ビジネス街の一角、看板のない小さなバーがカナタの新しい事務所だ。
 素性がばれないよう、数年おきに引っ越しを繰り返しては、サクリアに関するトラブルを請け負う「怪異専門探偵事務所」を開いている。
 次の移転先を考える時に、大学生はそろそろ終わりにしようかな、と何気ない思い付きを真に受けたアンジュが大発見! という顔をして、「探偵はバーにいるんだって」と言い出した。
「多分、その探偵はバーに入り浸ってるだけの客だと思うよ?」という意見は聞き入れられず、レイナによってあっという間に居抜きの物件が用意されてしまった。
 もちろん、カナタは飲食に関する免許は持っていない。だから表向きは「やたらバーっぽい雰囲気の探偵事務所」であって、訪れた人には、そこにある酒を好きに飲んでいい、と言っているだけだ。

「どう、客入りは」
「悪くないかな。バーだと思ってフラフラ入ってくる人が多いけど、結構精度高いよ。二割くらいはドンピシャで依頼に繋がるし」
「酒は悩みを溶かしてくれるからね。こういう場には自然と訳ありの客が集まる素地がある。あとは、水のサクリアの効果もあるかもしれない」

 カナタが差し出した報告書をパラパラと捲り、ロレンツォが得心したような顔で言った。
 今思うと、大学生の身分は便利だった。人の集まるところに身を置いていれば、自ずと情報が集まるし、白昼にその辺をフラフラしていても、研究目的という体裁が取れた。
 職業不詳の成人男性が日中の聞き込みや宣伝をすると、不審人物扱いされることが判った。だったら、バーに来る客から話を聞きだす方が早い。

「彼らは大抵、人に言いにくい悩みを抱えていたり、心に傷を負っている。君の力を無意識に求めているんじゃないかな」 
「それは……結構、嬉しい、かも」
 
 自分のサクリアが、トラブルの種ではなく人々の癒しになっている。昔みたいに。思わぬ評価をされて、カナタは左腕の無骨な腕時計をそっと撫でながら照れくさそうに笑った。

「うん、経営状態は良好だね。……安心したよ。一人で大丈夫かと心配してたんだ。アンジュも今度様子を見に来ると言っていた」
「あんたら、いつまで経ってもオレのこと子供扱いするよね」
「フフ、それはどうしても、ね。まあシュリほどではないだろう?」

 ガチャリ。金属ベルトを握りこむ音が相槌になった。
(ああ、まだ吹っ切れていないのか。若いな)
 ロレンツォは小さくため息を吐く。もう、何を言っても野暮になるだろう。
 ボトルを勝手に開けて、ウイスキーを注ぎ足す。丸い氷がロックグラスの中で小さく音を立てた。
 悠々と泳ぐ水槽の魚を眺めながら、ロレンツォはしばし思考の海に沈んだ。
 
 
***
 
 あの人との関係を表す言葉を、オレは見つけられないままだった。

「カナタ先輩~この前一緒に歩いてた赤毛のでっかい人、お兄さんですか?」
「え、それはちょっと無理ない?」
「そうですか? 目元とか結構似てません? 仲良い兄弟だなーって思ったんすけど」
 
 大学生をやってるとき、良く聞かれた。保護者、後見人、同僚、先輩――兄貴分。いやいや、それはなんか照れくさい。相棒、って言ってみたいけど、それもちょっとまだ違うなって感じだった。
 学校では探偵業のことを隠してなかったから、素直に探偵助手やってもらってる、と話すと、女の子達は「全部お見通しって感じの鋭い眼光」「今度紹介して」「バイト募集してないの?」などと囃し立てる。
 あの人そういうの興味ないからね、と釘を刺すけど、正直わかる。ガタイが良くて、顔がシュっと整ってて、ちょっとワルそうなのに、普通に優しいところもズルい。

「そりゃ守護聖やっててもやってなくてもモテるよ。かっこいいもん」
「は? 何を言っている。……好きな女でも出来たのか?」

 ぎらりと目を光らせたわりに、頓珍漢なことを言う。全然お見通しじゃないんだよな。そういうところもズルい。

「違うってば。えーと、オレは準備完了。いつでもいいよ」
「ふ……連れ込むときは言えよ。じゃあ行くか」

 したり顔でそう言って、シュリさんは椅子に引っ掛けてた革ジャンを羽織って、サングラスを胸にひっかける。見た目だけは完全にハードボイルド探偵だ。
  
「これで行き先が猫の集会場でなければ完璧なんだけどなあ」

 伸縮性の網、捕獲用の籠、猫の餌がパンパンに詰まったリュックを背負って、タンデムシートに跨がる。
「やっぱずるいなあ」
 分厚い背中に投げかけた言葉は、バイクのエンジン音にかき消されてしまった。





一覧に戻る